資本主義がさらなる発展をするにはこの倫理観が課題だと感じている。
最近、アメリカのトランプ大統領が起訴されたが、それは嘘をついたからだ。
大統領選挙に出るのに不倫相手に弁護士通じて口止め料を渡したというのである。支払いは弁護士料という嘘であったらしい。
資本主義と倫理観の問題だ。
アダム・スミスは「国富論」で、分業によってより生産性を上げ、国を富まし、自己利益の追求をすることを正当化した。根拠のない「見えざる手」が調整してくれるという。
人間から倫理観を抜きにして資本主義は発展してきた様相があるが、貧富の差のある格差社会が生まれたのが事実だ。
神がいて調整するようなことはない。あるなら法的規制が正しいだろう。
さて、スミスの後を継いで登場したのはフリードマンだ。
彼は自己利益を追求しても自動的に社会全体の利益・公共善が実現すると、スミスの理論をひっくり返した。所得分配に課題が残ったが、財政政策や、税制で解決するという方法を提示した。
1971年のニクソン米大統領が金とドルの交換停止をして、さらに経済規模が発展するように仕掛けた。「ドル本位制」と言ってもいい。彼が注目したのは対等な契約関係でない。
例えば、医者と救急患者の関係を考えると、対等な関係じゃないのでこれは契約ではないことが解る。言い換えると「信任関係」だ。対等でない信任関係が維持されるには医者の方に「忠実義務」がある。「自分の利益を優先してはならない」ということだ。
会社に関して言うと、会社には人格はないが、会社という法人と代表者の関係は「忠実義務」があり、嘘をついたり横領をしたり不正をすると、背任、あるいは横領罪で罰せられる法的な縛りがある。
言い換えると、現代はスミスの言った「見えざる手」は法的にしっかりブロックされているのだ。
自分の利益追求はしてもいいが倫理観のない資本主義ではいけないということになり、倫理資本主義の時代がますます重要になる時が来た。
みなさんは、資本主義は自己利益追求主義と思われますか?