「三代の天下を得るや、仁を以てし、その天下を失うや不仁を以てす」孟子より
日本は中国に学んで中央集権国家を造っているのである。
約3000年前の中国には夏、殷、周の三代に立派な王様が出た。
夏の禹王は黄河の治水を行い、殷の湯王は優れた人物であり、周は文王、武王が出て仁政を行って栄えていったが、逆に不仁の政治を行ったのは、夏の桀王、殷の紂王、周の厲王といった人物が出て国が滅んでいくのである。
さて、稲盛和夫さんのおっしゃる「利他行」や「何が正しいか」を自問自答することをおっしゃられる経営理念を、最初のころはどうしてもきれいごとのように聞こえてなりませんでした。世の中はいろんな人がいて、無意識にだまされないように生きなければ、社会が魔物のように感じていたからだ。
しかし、資本主義経済の基本は「信用と競争」に尽きる。
元来、なんでも自分の心をさらけ出すように育てられた母が「馬鹿正直はバカのうち」とよく言っていた。これは、人を信用しすぎるなという意味だ。
しかし、信用を得るには「嘘」のない誠実さがいる。
競争は他社と競うことでなく、世の中に役に立つモノやサービスを、自ら創造し提供し続けることをやり続ける「だれにも負けない努力」がいる。
松下幸之助さんは「社会は正しい判断をする」と言い切られる。
なぜなら、社会は詐欺を見逃さないし、不誠実な人からは商品やサービスを買わないような自浄作用があるというのだ。
もし仮に、自分の事業がうまくいかないとすれば、それは他人や社会のせいではない。 すべての原因は、自分自身にある。
うまくいかないのは、自分の商品やサービスが世の中に役に立つように常に進化させ、より良くしているかが問われる。
また、それを商いにする姿勢が「誠実」を貫いているかが問われているのである。
信用は言い換えると自分の能力と人格を磨くことであり、不完全な人間だからこそ追求し続ける必要がある。
表面的には他人や他社と戦っているように見えるが、実は仕事も人生も今の自分と明日の自分が戦い、少しでもよりよくする。
このことが本質的だと感じるようになった。
ある時期は仏教修行者のように悟ることで物欲をなくすことだと勘違いしていた。そうではなく、欲はいっぱい持ってよいが、世のため人のためにこの命を惜しみなく使い切ることだと感じるようになった。
稲盛和夫さんの言っていることは「きれいごと」でなく、利他行によって救われているのは自分の命なのだと気づいた。
仏教の言葉に「自利利他」というのがある。
利他行だと思っているが実は自利行なのだということで「色即是空」というのと同じだ。同時なんだな!
禅語に「啐啄の機」という言葉があり、弟子が悟りの心境に達したら、師匠がきっかけを与える。卵の中から孵化するときに小鳥は卵の中からくちばしでつつく、親鳥はそれに気づいて外から殻をつつくさまである。
稲盛和夫さんは決してきれいごとを言っているのでなく、「自利利他」を実践されて事業において信用と自ら役立つ商品サービスを、切り開き、日夜誰にも負けない努力されているから京セラが世界に通用する企業に成長したのであろう。
これからも現実を直視し、まだまだ成長するために、ど真剣に事業の商品サービスをよりよくしていきたいと再認識する次第だ。
天下国家も「仁」を以て民に尽くすことであるから国家が続いているのもうなずける。
皆さんは「仁」(思いやり)を以て、仕事の人生に利他行されていますか?