日本の現在の経済の考え方の基本は新自由主義と言います。
1929年の世界大恐慌で第二次世界大戦が勃発し、ニューヨークの株の暴落で世界は大不況となり、ジョン・メイナード・ケインズが考えた有効需要を作り出すには国が中心となって経済をよくする。
マクロ経済学と言いますが、これを批判してミクロ的に自由をもっと拡大し、社会より個人の自由を優先する経済学が出てきた。
1970年代にフリードリヒ・ハイエク、シカゴ大学のミルトン・フリードマンなどがマクロ的な経済政策でなく、「強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴に制度的枠組みの中で、個々人の企業活動の自由とその能力とを無制限に発揮されることが人類の富と福利が最も増大する」と主張する。
世界中がマクロ的な社会が引っ張るではなく、自由な個人が社会を創造していくという論理に変わっていくのである。
1979年のイギリスの首相のマーガレット・サッチャーは既存の制度を解体し、個人主義を推し進めた。アメリカの大統領のロナルド・レーガンも規制緩和や減税を進め、大企業が利益を上げるように無制限の自由を与えた。(注;スポーツなら重量によって階級があり対等に戦えるようになっている。中小企業はどうする)
当時は社会主義と自由主義のどちらが未来を明るくするかと競い合っていました。
(注;1991年にソビエト連邦は崩壊する)
新自由主義は金融の世界でかつてない繁栄を遂げた。
(ソ連の崩壊とほぼ同時期に日本ではバブル崩壊となり、その後、約30年のデフレが続いたが、少しずつGDPは増えてきているようになって、現在はインフレ基調である)
さて、新自由主義の意味するところは経済領域や国家機構、日常生活が金融に支配される「金融化」に支配される。
言い換えると資本のある人が配当と利子で儲かる仕組みとなったのである。
それ以前は生産資本・製造資本・商業資本の間にあった距離が縮まったのである。
この歴史を紐解くと、人間はどうしても相対二元の世界で、理想を探す答えのない旅をするように創造主が創られているのだと察する。
私は中道こそが、これからの原理として的を射ていると感じる。
本当の自由は互いが成長し進化することだが、以下の自由は悪い自由になるので書いておく。
1.仲間を食い合ったりする自由。
2.コミュニティーにふさわしい貢献をしない法外な利益を得る自由
3.技術的発明を公共の利益に供しない自由
4.私益のために秘かに画策された公的な惨事から利益を得る自由
理想かもしれないが「私益・共益・公益」の三方よしが実現されることが望ましい自由主義だと感じる。
時代は過去を否定し新しいものを創り、その新しいものが古くなれば否定し、さらに新しいものを創る。諸行無常だから未来へ向かっていくことが生きる糧になるのも創造主が考えられたのかと想像する。
皆さんは今の世の中、株や投資やと金融屋さんが個人のお金奪うような仕掛けされているように感じませんか?
「現代の経済の新自由主義」はいかなるものか?
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