大阪石材社長ブログ

「未来の社会の繁栄」について

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世界は大きく社会主義国と、資本主義の自由主義国に二分されている。
日本は自由主義を標榜する資本主義社会の枠組みの中で活動している。

社会よりも個人の自由を優先するのがより正しいと判断する社会だ。
戦後の幼いころは、民主主義なんて知らない世代の親が隣組を大切にしていたのを記憶する。
たくさん作った夕飯のお惣菜を「お裾分け」と言ってお隣にもっていかされたのを覚えている。旬になると一時に作物が取れ、大きなかぼちゃ(南京)などは煮物にすると腐るので、近所に配る(冷蔵庫のない時代)ナスや大根も同じだった。

さて、昔話を懐かしもうというのではなく、世間が大事で助け合いを基本とした社会だった。戦後は家電製品がどんどん商品化され、どこの家庭にも洗濯機や冷蔵庫があり、テレビもあるようになったのは、昭和の30年代半ばごろからだった。
昭和39年に東京オリンピックが開催され、40年代にはイザナギ景気となり、50年代に入って列島改造の議論がなされて、流通革命がはじまりダイエーはじめ、スーパーマーケットという大型店舗が展開しだしたのである。

そんな時代の中で松下幸之助さんは政治経済の人材育成をしようと「松下政経塾」を設立した。松下幸之助さんが残した言葉に「道徳は実利に結び付く」という名言がある。

「社会全体の道徳意識が高まれば、まずお互いの精神生活が豊かになり、少なくとも人に迷惑をかけないようになる。それがさらに進んで互いの立場を尊重しあうようになれば、人間関係もよくなり、日常生活は非常にスムーズにいくようになるでしょう。
また、自分の仕事に対しても誠心誠意これに当たる態度が養われれば、仕事も能率がよくなり、自然により多くのものが生み出されるようになる。
つまり社会生活に物心両面の実利実益が生まれてくるといえるのではないでしょうか。
そう考えるならば、私たちは道徳に従ってすべての活動を行うということは、社会人として大切な義務だということにもなると思います。」
と未来社会を創造しておられる。

資本主義経済で、自由主義を標榜し、個人の自由を認め選挙や多数決によって民意を判断する社会において、一番大事なことはみんなが共有するルールを守る常識がなければなりません。
しかしこれだけではさらに成長、発展はしません。
個々人が良識ある判断をするという良心を磨くことが必要だと感じます。
この良心は万人が持っているものだが、人間は利己的本能心に負けることもあります。
ゆえに人の道を説く「道徳」と松下幸之助さんはおっしゃられたのだと察する。

若きときは社会という壁をのり超えるために常識を学び、自らの本能心と戦い、そして社会人としてさらに「何が正しいか」という良識を、身につけ学ばなければ、真の社会人にはなれないのです。
思春期までは親がかりで依存して生きるのが人間で、その倍の20数年かけ40歳ぐらいになれば「常識」「良識」が身につくのではないだろうか?
若者は常識を破って新しい世界を創造する力があるのも事実だ。
社会的に受け入れられるには誠心誠意の「良識」とも葛藤し学び身につくのだろう。
こう考えると生きるということは実にドラスティックで面白いと感じるが、実際にその年代を生きたときは我武者羅だったことを思い出す。
こう書いていて、ふと思い出したのは一休禅師の言葉だ。

「世の中は食うて稼いで、寝て起きて、さてそのあとは死ぬるばかりぞ」
「踏み出せば、その一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ」

一休禅師が死の間際、最後の言葉は「死にとうない」だった。
皆さんは未来の社会の繁栄に何がいりますか?

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