毎年、京都の臨済宗・妙心寺派の達磨寺の貴重な墨蹟カレンダーを、友人が暮れに送ってくる。
臨済宗・黄檗宗の管長・師家による墨蹟が収められていて、字にも味わいがあるが、書かれている言葉の解説が、含蓄があって深い意味を感じる。
カレンダーの巻頭に書かれているのは龍門寺大衆禅道場長老の河野太通老師の「夢」という文字だ。
その下に「応作如是観」(まさにかくのごとしのかんをなすべき)と書かれていて、「大意」夢とは、実際には姿も形もないのに、あたかも現実に存在するものの如く見える、もしくは思われるものをいう。したがって意味の捉え方も様々である。
「何事も夢のようだ」このように悟れという。その人、その立場によって違いはあるが、長い年月をかけた人生そのものが夢だと悟れば、苦楽にとらわれることもない。
さてこの心境に悟れるかと問われている気がするが、知ってるだけでは意味がないので、そう考えるようにして、この世の苦楽という二元論を離れてみる。
自分にとって良き事(プラス)悪きこと(マイナス)が目の前の現実に起こるのだ。
悟れはしないが、良きことには「感謝」し、悪きことには「成長」のチャンスと考えれば二元論から離れられる。
すべては現実絶対肯定(芳村思風)を貫くというのはいいことは外から入ってくる。
悪いことは内(自分)を鍛えるチャンスにする解釈力だ。
豊臣秀吉の辞世の句に「露と落ち 露と消えにし 我が身かな「浪速」(なには)のことは 夢のまた夢」
人生そのものが儚い夢のようなものだという。
ちなみに秀吉が残した名言をここで紹介することにする。
「負けると思えば負ける、勝つと思えば勝つ。逆になろうと人には勝つと言い聞かすべし」
「何事もつくづく思いだすべきでない」
「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵でない」
「主従や友達の間が不和になるのは、ワガママが原因だ」
「障子を開けてみろ外は広いぞ」
非常に現実的で言葉も平易で誰でもわかるような口語調だ。
皆さんは初夢どんなのを見ましたか?
「夢」
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