大阪石材社長ブログ

「新しい資本主義」に思う

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1971年に大学を卒業して金物会社に就職した。
当時はニクソンショックで、金とドルの交換停止となり、円が変動相場制になり、1ドル360円から301円になった時だったが、日本は高度経済成長期で経済は活況だった。

4月に入社して10月には退職した。
それからが大変だった。
当時は新聞の後ろのページに就職先の募集が印刷されに直接会社へ訪問して面接してもらった。ところが、どこに行っても中古品扱いされ、給与は新卒の8掛けとなり、辛抱のない人間扱いされた。そこで、自分では探せないと考え当時大学のゼミの先生(学長だった)を頼って就職の依頼に行った。

数ヶ月経って、70億の売り上げを10年で創ったデベロッパーに紹介された。
この社長は凄いやり手で、学ぶことがいっぱいあった。
一生ついていこうと決意したが、なんと3年後に会社更生法を受ける会社になり、やむなく退社することになったが、10年先輩の同じ大学の人から、新しく事業やらないかと誘われ、チャイルドという会社を設立し、学習塾を起業することになった。

ところが、毎日情報収集と言って実行しないリーダーは友人の家具の配達を請け負う仕事をするといい出した。
なんだか情けなくなって、たもとを分かつ決心をしたときに、元居た会社の部長から電話で仕事手伝ってくれと頼まれ、ジュースの販売をすることになった。

そんなことしている時に恩師小田切瑞穂先生(最初の会社で教えをいただいていた理論物理学の教授)から、電話がかかって、「愛媛県の地場産業の石材業手伝ってくれないか」と誘われ、まったく門外漢だったが、27歳になって始めることにしたのが今の仕事だ。

お墓を建てる仕事で「供養産業」だ。
当時はこの仕事は普通の人でなく怖い人の仕事のように思われていた。
今思い返してよかったと思うのは2つある。
1.ギブアンドテイクといった具体的な利益がなく、安心と感謝という心を与える仕事だった。
2.それも伝統的に人間が営んできて石を使うから100年前のものもある歴史が目の当たりに見られることだ。(時流によって商品が変化するものでなく、自分の人間としての精神的成長スピードにあっていた)
創業して48年目となり、会社にする前からすると約50年この仕事に携わって、感謝しかない。

2025年の日本経済はリチャード・ニクソンが言い出した「新自由主義経済」自由にやらせていれば需給のバランスが自然ととれるという、「自己調整的市場」と考え小さな政府、規制緩和や自由化、グローバル化を推進したのは大学4年生の時の状況だった。
スタグフレーション(景気が後退する中で物価上昇が同時に進行する)といって、スタグネーションとインフレーションをくっつけた造語。
従来のケインズ主義による財政出動主義派は否定されて結果、日本の経済は1999年のバブル崩壊を迎えることになるのである。

経済人類学者のカール・ポランニー(1886~1964年)「大転換」という本で
「人間の経済は一般に、人間の社会的諸関係の中に沈み込んでいるということである。人間は物質的財貨を所有するという個人的利益を守るために行動するのではない。人間は自らの社会的地位、社会的権利、社会的資産を守るために行動する。人間は、この目的に役立つ限りでのみ物質的財貨に価値を認めるのである。」

経済活動は経済的利益だけを利己的に追及するものではありません。
ある共同体では生産した財を共同体の中で分ける。また社会の上下関係の中では贈与、褒美、寄付、或いは施しという形で移転したりする、商業では、血縁、遅延、慣習、地域共同体。宗教という社会生活全体と関連している。

ポランニーは経済活動とは、社会環境と自然環境との調和の中に行われているので「沈み込んでいる」と表現している。
「新しい資本主義」は個人の金融財産は2024年3月末時点で2199兆円あり、岸田元首相は投資を盛んに宣伝していた。
バブルの時のように株に投資、土地。マンションなど金融資産として転がすことを考えている方針と感じてならない。

皆さんは「新しい資本主義」という政治方針いかが考えますか?

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