大阪石材社長ブログ

「釈迦は何に気づいたのか?」

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「どうして苦しくなるのか」と思って、自分の城の四つの門から出てみたのだとある。
「老いること、病気になること、死ぬこと」生まれたら必ずこうなる。
この原因で苦しむことはわかったが、その苦しみは「自分は不変の存在」、「自分にとって世の中が動いているはずと考える」という世界観で、自分を真ん中に置いた見方こそが原因だとわかる。

ではどうするか?
すべてのものは変化している、変化しないものはない(諸行無常)とわかり、自分を真ん中においてモノを見てはいけないことがわかり(諸法無我)すべてが苦しみだと(一切皆苦)と理解したら、心は安寧になり(涅槃寂静)、苦しみは消える。

人間が生まれ変わるなんて言う輪廻など断ち切り、こころ康らかになって菩提樹の下で瞑想する。
それはカピラ城を出家して精神的価値を求め肉体的な断食を通じて体得したに過ぎない。
ここから、個人的な解脱から瞑想して釈迦はこれを伝えねばならないと目的を大きく変換するのである。
この苦からの解放をみんなに伝えることを80歳までインドを歩き回って利他行をする。

後に仏教が部派仏教(上座仏教)大乗仏教へ進化していくのも、お釈迦さんの目的を大きく変化させたことによるのだろう。
大乗仏教の修行は厳しい修行でなく、日常生活の中で解脱するという解釈になっていくのである。
仏教は当時のインドに合ったバラモン教という階級的な考えを否定して、カースト的階級のない個人はみな平等に苦から解放されると大きく変化したことだろう。
現代のわれわれにとって仏教は自分と向き合う哲学であるように感じるのは私だけだろうか?

皆さんは仏教ってどうとらえていますか?

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