大阪石材社長ブログ

「命の重み」考える

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命を継ぐというのは人間も他の生物も何らかの命を食べなければつなげません。
自然現象は実に残酷な弱肉強食という側面があります。
だからこそ、食べ物を大事にし必要以上は食べない、食べ残さないと教えられた。
仏教ではこの世は「共生の世界」と教えますが、これには時間軸、歴史軸がいる。
過去の過去、未来の未来という長い時間で考えることが重要だと教える。
歎異抄には、
「一切の生きとし生けるものは、すべては、遠い過去世から幾度となく生まれ変わり、死に変わってきた父母姉妹です。」と書かれている。
仏教の教えに「十界」と言って「六道輪廻」(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)を超えたら、声聞、縁覚、菩薩、仏になる修行をするとある。
だからライオンが子羊を食べる畜生に生まれ変わることもあるというのだ。
人間は覚えていないが、いろんなものに生まれ変わり過去から生きているというのである。
なんとなく納得できる論理だが、実際に見たことがないからわからないのが正直な気持ちだ。
人間として命をいただき、今まで生きてきたが本当のことが聞ける耳になっているか、仏縁に感じ入って、他を助けて生きようと感じ行動しているか、あるいは他人や社会を良くしようと活動しているか、自分を顧みたら、現実はまだまだ徹し切れていないと感じる。
仏となって蜘蛛の巣にひっかかった蝶になり食べられる、そんな布施ができているか疑問だ。
しかし、人間が社会を形成し、分業して生産性をあげてきたのは事実で、社会に役立つ利他行がなされないと、共生の世界は実現しない。
現実は、ベースはあるが詐欺や盗み、殺人も起こっている。
人間が目指すべき方向は「命」を大事にするなら、利己心を少しでも減らして生活し利他行に徹する。
判断の基準は自己本位でなく「共生の世界」を形成し、互いが尊敬し助け合うことが重要だ。

皆さんは仏教の「命」の生まれ変わりどう思いますか?

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