国家の骨格を規定するのが憲法だ。
明治以降、近代国家を目指し国会での議論によって骨格を決めていく。ところが日清・日露という戦争で勝利した日本は軍国化して第一次世界大戦へ、また第二次世界大戦で敗戦国となり、戦後の日本は憲法の13条と24条2項に「個人」の概念が明確化された。
わがままでもなく利己主義でもない一人一人が独立した個人である。
13条は「すべての国民は、個人として尊重される」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」と続く。(朝日新聞、天声人語より)
余談だが、大阪石材の理念も「幸福追求」が最初に浮かんだが、個々人をベースに集団の心の絆と集団の成長をみんなで創造することを基本に、「幸福創造カンパニー」としたのである。
さて、もう少し深めると1914年に「私の個人主義」と題して講演したのは夏目漱石。
その個人は自分勝手でなく国家とも対立しないと説いたが、その後の日本は欧米の覇権主義へ傾注していく国家となり戦争を正当化されるのである。
情報化社会になって、個人がSNSなどを通じて個人を誹謗中傷する投稿も目立ってきている。
1970年代の学生運動は国家権力に対する民主運動であったが、個人が匿名で攻撃できるのはIT社会だ。
あさま山荘事件では自己批判と称して内部抗争となり国民は賛同しなくなり、民主運動が消えた。
経済的な側面から言うと戦後は有効需要を造るため大きな政府が主導して経済を動かしたが、その後の方針は小さな政府で民間の自由競争によって発展進化していこうという方向にかじを切った。
当時も表現の自由を要求して戦っていたのはジャーナリストだ。志を持って権力と対峙していた。
ところが、現代の個人が自由に投稿するSNS時代では公平・公正を目指すジャーナリストへの誹謗中傷もあるという。
個人を強調するあまりに社会人としての規範が薄れて社会的な常識がという良心が揺らいでいるように感じる。
マスメディアも理念の基準が緩くなってきたのが、昨今の関西テレビの仲居くん問題として表面化している。
民主主義は国民主権だが、国民一人一人が独立自尊の個人として育つ環境や一人の社会の一員としての自覚を自ら育てる好機がやってきているように感じる。
社会人としての個人主義、個人主義としても社会人の両方を育てることが問われているのが、情報化社会が求める個人主義ではないだろうか?
皆さんは国家と個人を憲法記念日にいかが思われていますか?

「憲法記念日」に思う
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