昔のおばあちゃんは「出ん得」という言葉をよく言っていた。出たらお金を消費するからだ。
始末するには消極的だが、経済的には良い手段で、二宮尊徳流言うと「分度」にあたり、倹約し分相応な在り方を言うのである。
二宮尊徳さんの報徳思想には「分度」の他にも三つ、「至誠」、「勤労」、「推譲」がある。
これを歴史的に守って仕事をしたのは「渋沢栄一」や「土光敏夫」だ。
特に土光さんの倹約ぶりはすごく、朝は目刺とお粥で過ごされたようだ。
さて、『二宮翁夜話』に「貧乏神、疫病神の住所」という説話がある。
村を巡回され、怠惰で無気力で掃除していない者があったら、「不潔極まることにしておくと、お前の家はいつまでも貧乏神の住処になるぞ。貧乏から逃れたければ、まず庭の草をとって、家のうちを掃除するがいい。こんなに不潔では疫病神も宿るに相違ない。だから、よく心掛けて、貧乏神や疫病神がおられないように掃除しなさい。家の中に汚いものがあればくそ蠅が集まるし、庭に草があればヘビやサソリが得たりとばかりに住むのだ。肉が腐ればウジが生じる。そのように心や体が汚れて罪咎が生じるし、家が汚れて病気が生じるのだ。恐ろしいものだ。」と諭された。
こんな話をして、「まずは勤勉に働いた方が生活も周りもキレイになって得をする」と説かれたのである。
損得ではなく「至誠」で働くこと。
誠を尽くして働く、みんなが喜ぶ働き方をするということだ。
このようにしっかり働いて、余分に溜まった米を売って、そのお金を無利子で新田開発に向け、どんどん取れ高が増え、町は潤ったということだ。積極的に働くことは身体が疲れるので遊興に興じている間もないためお金は使わないし、人との交わりは「至誠」を本にして素の自分を出して偽りなく、善と悪があれば善を判断基準にして行動するということだ。
このブログのタイトルの言葉は稲盛語録からとった。
「働くことは万病に効く」
私も同感だ。
それは周りのためにもなり、仏教の「自利利他」の実践になる発展成長の哲学だ。
みなさんは働くことは利他行になって発展成長する哲学と思われますか?