法句経に学ぶ

投稿日:2014年2月27日 更新日:

2500年前にバラモン教が主流だったインドに、
カピラ城の王子の釈迦が革新的に人間平等の人格主義を貫く仏教の創始者として
あらわれた。

釈迦が語ったとされる423編の経典で、
経典の中の「論語」といわれる人生訓が法句経だ。

その中でも好きな言葉があるので紹介する。
103『戦場に出づる
   千たび
   千人の敵に
   かたんより
   ひとり
   自己(おのれ)にかつもの
   彼こそ最上の
   戦士(つわもの)なり』

この句の言わんとするところは克己心だ。
100%できてるかといえば、はなはだお粗末な自分がいる。

418『楽なるをすて
   楽ならざるもすて
   清涼の境〔さかい〕に住し
   再生の素(もと)なく
   すべての世間に
   克つ勇者
   われかかる人を
   娑羅門とよばん』

この句は相対二元のどちらにも偏らないで、
清涼の境地にいるということだ。

いいかえれば自分の心に雲ひとつない鏡のようにして現実に入るということだ。
イメージとしてはプラスもマイナスもない0になることだ。
主体はあるが現実に入り込むので0には重さも質量もないのだ。

決して傍観者として外から見てる自分ではない。
これを恩師小田切先生は『如実知見』とおっしゃっていた。

頭だけでモノを考えるインテリは事実に飛び込まず傍観者になる。
そのものの見方を「觀主観」といって、
みてる主観だと口癖のように言っておられたのを懐かしく思い出した。

こんな言葉もある。
『君見ずや
 絶学無為の閑道人
 妄想を除かず
 真を求めず
 無明の実性即仏性
 幻化の空身即仏身』

みなさんは現実に入り込んで生き生きしてますか?

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