リアルとバーチャル
回転寿司は寿司屋という職人の世界の工場化に成功したのだと考える。
もうひとつの観点からは何年もかけた職人のわざはにぎりという作品の中に、
温かみ、優しさ、人間味、季節による味の加減があり魂を込めた個性があった世界の無個性化だ。
私の同級生は寿司屋を1970年からやっていたが、当時給料が安く好きなものは頼めなかった。
一度でいいからカウンターで好きなものを頼んで食べるのが夢だった。
寿司は40年ぐらい前には大変な高級品で、
職人さんによっても味は違うが、なんと言ってもネタの鮮度が大切で仕入れの目利きがいる。
卸売市場から産地直送を実現し冷凍技術も進んだ現代は回転寿司屋さんも、
大変な努力を重ね新鮮なネタを低価格で提供しているのだ。
食べる側からするとありがたい話だ。
おいしいものが安く食べれるのだ。
一方、寿司職人さんは工業化され機械に仕事が取って代わられたことになる。
仕事の二極化が働くことの社会構造を変え、働く使命や意味まで奪ってしまうのだ。
寿司を工業化する技術者(理科系の設計技術者)と段取りする作業員だ。
職人から素人ができるようになってしまっているのだ。
だから段取りするのはもっぱら作業で技術はいらないのだ。
マクドナルドの店員も同じだ。
マニュアルで話す言葉も決められている。
接客されるほうにしたら、
機械的な言葉や心のこもらない話し方に機械人間と話してるような違和感を感じる。
IT(インフォメ-ション テクノロジー)が普及し、
バーチャルな世界が一挙に拡大してる現代こそ、
職人さんの温もりや優しさ、人間味のあるふれあいが希少価値を生む。
人間味を欲するのは時間がかかりコストが高くなると切り捨てるのが経済優先の考えだ。
バーチャルとリアルが混在する現在は、ホントの意味でリアルを活かすバーチャルでなければならない。
人間の幸せはモノがたくさんありモノに囲まれることで、
人間関係が面倒で気を使うと考える人もあるが、
本来は苦しみも悲しみも分かち合える家族や、
仲間のぬくもりを感じる人間関係の輪をもつことで安心もすると考える人が大半だ。
私たちはITを道具として効率化や時間短縮できることは工夫しなければならないが、
目の前にいる人間とたっぷり時間かけて会話し、
暖かさや人情味を感じあう時間は長く取ってこそ人間と人間が創ってきた社会であり、
幸福の基本だ。
昔は一人では食することもも生存もできなく群れが必要だった。
そこでは互いが我慢したり助け合ったりしなければ生きれない。
またその中で人間形成もされ豊かな精神性も育てられたのである。
今こそリアルとバーチャルのよさを生かし合うハイブリッドな人格形成を待たれる。
日蓮上人の言葉に、
「地獄と言うも極楽と言うも外にはそうらわず、ただ我らの胸のうち、
これを悟るを仏といい、これに迷うを凡夫という」
私たちは自分を取巻く外の環境を変えることに夢中になって、
自分の内なる心を極楽で一杯にする心を整え変えることを忘れていないだろうか?
みなさんはリアルとバーチャルを楽しんでられますか?