「宝慶記」との出会い

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この本は道元について二祖懐弉禅師が書かれたものだ。
道元禅師が如浄禅師に会うまでと問答が書かれている。

道元は幼少から菩提心を起し、
因果の道理がわかったが仏法僧の三宝の帰着点がわからないと先光禅師栄西の門に入り、
臨済宗の宗風を聞き、明全和尚と共に大宗国に渡り、如浄禅師の法席に入った。

そして、問答を許され因果について質問するのである。
日本から来た道元禅師を特別ともいえるぐらいかわいがった様子が書かれている。

道元が『今後道をたずね、法を尋ねること許してください』というと、
如浄禅師は返事に『昼でも夜でも時間は関係なくお袈裟をつけてもつけなくても関係なく、
わが方丈の部屋に来なさい。父親が息子の無礼を許すのと同じ気持ちで迎えるであろう』

実に良い師匠に出会ったものだ。
今の永平寺はこの二人の出会いの縁があってこそである。

さて「因果の法則」について如浄禅師は答えるのが実に明解である。
「和尚示していわく・・・・・・」に始まる。

『因果なしとはいけない。
何一つないという『空』は因果を否定するものである。
草ぼうぼうで押し流されて、禍を招くと、もし因果をないものとすれば、
仏法の中の善根を根絶やしにした人である。
どうしてそれが仏祖の願いであろう。』と答えた。

人間である以上言動(主体性)をしなければ生きていけない。
しかし、言動すれば、善悪、損得、正邪、好き嫌いという相対判断が下されるのも事実だ。
他人から相対的に判断くだされるのが嫌だといって、
自分の主観(考え、価値観)を抜いて生きていくことはできない。
それは傍観者になることで虚無的な世界に生きることを意味する。

ではどうするか道元は問うているのだ。
『善因善果』で因果の法則にのっとることが仏祖の教えだと如浄禅師は断言する。

このことは白隠禅師の坐禅和讃のなかに、
『布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
 その品多き諸善行 皆この中に帰するなり』とも書かれている。

このように主体的に生きるとは因果の法則にのっとり徹底的に善行することである。
われわれ凡人は世のため人の為に役立つ利他行を一番にし利己心を二番にすることだ。
経済制度は欧米流だから仕方ないが、
欧米のキリスト教をベースにした文化的歴史観とはしっくり馴染まない。
だからといって、否定し対立しては世界と付き合えないのが現実だから、
欧米を充分理解して学びハイブリッドな柔軟性を身につける必要がある。

みなさんは如何考えられますか?

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