努力について
道元禅師が如浄禅師にあわれ、「なぜ修行が必要ですか?」と質問されて、
如浄禅師は「衆生は三日坊主で続かない」こう答えられ、
「なるほど」と気づかれた。
そう、努力することは人間が人間になる方法なんだ。
動物のままでいい、本能のままでいいなら、努力は要らない。
また努力は続けるところに価値を産む性質がある。
だから、あせらなくても良い、毎日少しづつ習慣にすることだ。
歯磨きと同じで習慣化すると苦痛はなくなる。
当たり前になるからだ。
ところが二十歳代の若いころはとにかく結果が早くほしいから、
三日坊主になってしまう。
十日、二十日と辛抱強くコツコツ行動してると、
いらいらしてこんな事していて結果でるのかと迷い出したり、
他に方法があり間違ってないかと自信がなくなったりする。
その行動が利他心で他人のためになる計画ならば必ず成果はでる。
自分の利己心のための行動していたら、妨害がはいるかもしれない。
世の中は向こう三軒両隣の人で出来てるからだ。
道元禅師のように修行が習慣化されると仕事することも生きることも難しくないようになる。
だから悩みがなくなったわけではないが、
だんだん解決する智慧の出方や判断が早くなるから長く生きることは楽しい。
決して出家を勧めてるのではありませんし、仙人になる意志もありません。
ただ、自分にふりかかる問題を解決し、幸福創造、三方良しを実現したいからだ。
道元禅師は「修証一等」とおっしゃられてるように、
「修」も「証」も同じなんだと教授される。
一日修行したら、さらに一日積み重ねスタートすればいいだけだ。
一年先まで心配御無用、一日が出来たら、きっと未来も出来ること間違いなしだ。
もし万が一出来なかったら、また一日からやればいいだけだ。
努力することを大げさに考えすぎないことだ。
野に咲く花が一生懸命太陽に向かって伸びようとしてるのと同じことだ。
みなさんは、努力が習慣になってますよね!