無意識こそ宇宙の法則

投稿日:2018年3月25日 更新日:

無意識こそ宇宙の法則
仏教では「分別智」を超えて「無分別知」を学べという。
現実は意識はいつも分別して、大きい、小さいと何かと比較して考える習慣ができてる。
どんな人もそれが当然と思っているし、その当然で現実を見てるし、
そこから目標や課題を見つけ、技術的に解決してる。

「より早く、より強く、より安く、より良く」と一生懸命考え、技術論を生み出し実行し
成果をあげる。
ごく当然の事のように行っている。
決して悪いことではない。

ところが、アダムスミスは「資本主義に倫理観がなければ暴走する」と言っているのも、
まさに、人間の持ってる性であり、拡大したい富みがもっとほしいという人間の欲だ。

現実は自由主義を正しいと思って拡大していく結果として格差が広がり、
経済的に不自由な規制が多くなり生きにくくなっていないだろうか?
全く逆の現象が人間の生活に現れていると疑問を感じる。

人類は自然と戦って人間の都合で科学と称する技術で急激に富を生み出した。
しかし、どんどん自然と遊離して利益のみを追求する暴走をしていないか疑問が起こる。
だからと言って聖人君主になれとか、宗教の教祖の教義に従う受身さを良しと
言ってるのでない。
「随所に主なればいたるとこ真なり」という言葉があるように、
自分をしっかり主にして「幸福にこの世を生きる」のが生きる目的だ。
勿論周りの人も幸せになるようにだ。

では方法論としてどうするかということだ。
野口体操の野口先生は「非意識的主体説」
生き物は最も眠ってるときのほうが基本状態である。
意識が働いてる時間が多すぎるとおっしゃるのですね。
自分が意識的に判断しようとすれば、逆に休んで待機してる方が、
動きやすいというのだ。

「力まず、あせらず、他人と比較せず」
心と身体を開放してやる事で、判断の基準は、
「意識でなく、気持ち良いかどうか」が一番エネルギーを上手く使えるというのである。

実に体が一番脳(頭の意識)は二番ということを断言される。
呼吸も同じで吐いてから吸うと一番エネルギーが溜まる。

非意識は自分が今まで考えてきた善悪、地獄極楽、正邪などの分別をしない世界、
言い換えると無分別である。

物事は自己中に見ると相対的に見えるが、意識を外に飛ばして外から見ると、
対立してるのでなく相補的に調和してる。
体と心も一つである。
これを物心一如というが合理的な意識では同質(共通)以外を排除するので矛盾と捕らえる。
言い換えると矛盾を受け入れることが自我を離れ非意識の世界だ。
そこに見えるものが意識を超えてみるほんとの現実である。(如実知見)
視点を変えれば誰でもできることだ。

皆さんは無意識で宇宙の法則にのって、
現実を見て対応策考え行動してますか?

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