看脚下(足もとを見よ)

投稿日:2012年8月13日 更新日:

看脚下(足もとを見よ)
坐禅を組んでいると身体は今にいるのに頭は自在に過去未来に動く。
止めようとすればするほど動き出す。
しばらくすると身体が痛くなる、腰がつらくなる事に意識が取られる。

だが、逃げ場所はない。
自分の身体からだ。
自分のものでなく先祖、師、仲間、両親、兄弟させてくれる人達に感謝が湧いてくる。
自分勝手に使えない預かり者だ。
大事に大事に使いながら鍛えることだ。

また身体が痛い、腰がつらいと意識が飛んだ。
やっと『今。ここ、自己』から逃げれない自分を見た。
覚悟が出来た。
覚悟が決まると心配と不安は消える。

薬師寺の故高田好胤師は『悟りとは決心、覚悟』といっておられたことを思い出した。

九百年前の中国に法演禅師が闇夜に三人の弟子を連れて歩いていました。
突然、提灯の明かりが消えて、あたりは真っ暗になった。
そこで禅師は弟子に向かって、
『暗闇を歩くには明かりが必要だが、今、明かりはなくなった。』
 『お前達は今なにを悟った。』

三人三様だったが、一人の弟子が『看脚下』と答えた。
禅師は『そのとおり』
どんなことが起っても冷静に自分がどんな場所に立ってるか知ることだ。

心が不安か安心か?心配か大丈夫か?
これは心をどう整えるかを示唆してる。
『頭で心を整えるのではなく、身体で心を整える』ということだ。

私のような凡人は頭で理解しようと屁理屈の世界を迷っているのだ。
陶芸家の河井寛次郎は『手考足思』のなかで、
「過去が咲いてる今、未来が蕾で一杯の今」と語ってる。

自分のたち位置、身体でとらえ「今、ここ」に立ちことだ。

みなさんは頭と身体一致していますか?

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