世界の国家像は大きく2つに分かれているのが現代社会の現実だ。
今起こっている事態は資本主義と専制主義がともに不完全であるがゆえの事で、根本の人間に目を向ける時期だ。
資本主義はフリードマンの提唱による新自由主義で規制緩和を推進し貧富の格差を広げていった。
大資本が自然の空気まで商品化する方向にあり、同時にAIや情報化によって機械に使われる働き方になる方向へ資本主義社会はシフトしていっている。
専制的な社会主義は武力による領土拡大を強行している。
「人間が人間らしく働く」とは、自分で考え、一人が自分の働きを活かしながら、社会の「富」を豊かにしてゆき、能力や感性を磨き、生き甲斐をもって自律した働きをする。
それには具体的な技能を学ぶ機会を得て、同時に人間の自律を目的に「人間力」を磨くことが大事だ。
また、人間力と能力・技能を学ぶハイブリットな人財育成の環境が重要だ。
そのためには各人の気持ちが通じる人数が必要だが、一方、社会の変化にも適合しながら柔軟に人数を変化させる必要もある。
稲盛さんは自ら縮小拡大自由のアメーバ経営と表現されてる。
マルクスは社会変革と自己変革することが大事と言っている。
人間の解放が目的だ。
重要なのは政治的課題になるが、社会の構造改革することが優先で、日本も過去は進んできた。
私たち学生時代の50年前は赤軍派と称する人たちが性急に武力容認の社会変革を起こした。
今こそ、人間としての自律を目指した「人間力」を磨き、自己変革を起こす時代が来ていると察する。
経済も自由とともに貧富の格差がない社会を実現するルールを一人一人の自覚を元に創造していく叡智がいる。
人間として自分の考えが正しいと信じるのはいいが、断定しないこと。
考えの正しさは社会的実践によって証明される。
行動が大事だ。
思いやりは見えないが、席を譲るといった行動は見える。
お互いが自立に向け努力することは「古いものを新しいものに置き換えること」で、決して長時間働くとか単に生産力を上げてモノをたくさん作ることではない。
宗教的な表現になるが、現実を全て一度シャットダウンして新しく立ち上げる必要を感じる。
道元の言葉に「不貪是布施」、施者、受者、施物の三輪が空であるとき、自他に真実の幸福の花が咲くと諭すものがある。
言い換えると、空なる施物、心空にして施し、心空にして受ける、「三輪空の働き」である。
現実に生きる人間は生活があり、家族があるから、そんな綺麗事では済まないと考えるのが普通だ。
しかし、よくよく考えてみれば分かるが、資本家と労働者と言う対立軸を作って議論するが、現代は何かに投資していたら資本家だし、働いていると労働者だ。
個々人はみんな経営者であると表現するのは松下幸之助だ。
そして、働く人を「社員稼業」と言った。
家に帰ったらみんな家庭の経営者であることは間違いない。
資本主義が正しいとか専制主義が良いとかの議論の前に自分自身の自律した哲学を身に付ける時だ。
これが一番平和な解決方法ではないか。
互いが認め合う相補的な社会の実現が望まれることは間違いない。
皆さんは人間力磨かれていますか?