お釈迦さんが菩提樹下で7日間瞑想して、スジャータから山羊の乳をもらって身体が回復していくという話があるが、当時はカースト制度という身分制度のある社会、ましてや女性からモノをもらうことはタブーだったが禁を冒して行動された。
そこで、何にも捉われない心境となり心が解放された。
もう一つ「苦行無益」ということが重要な諭しだ。
3年間はインド中の仙人を尋ねて教えを受けたがどれも解脱の教えでなく、また3年間山に籠って断食をして自分の肉体をとことん究極まで追い込んだが違った。
苦行するから楽があるといった相対的なモノの見方、肉体的な解放感はできないことに気づかれた。
この言葉で思い出すのは中村天風の「絶対積極の心」である。
積極の反対は消極であるが、自分の心の中に消極心が湧いたリ不幸な物事が起こって対抗するということではなく、事がある時も事がない時も常に心が泰然不動の状態であることを言うのである。
要するに勝ち負けに冒されず相対的な積極でなく超克することだ。
もし仮に病難に遭おうが、運命難に陥ろうと心はこれらを相手にせず、勝とうとも負けるとも思わず、超然と穏やかで落ち着いている。これが絶対積極の心である。
天風がもう一つ言っているのは自分に対して断固として自己を律することが必要で、自分以外の人に対しては清濁併せ呑むという寛容さを失ってはならないということだ。
寛容さを失うと絶対積極心の最大の妨害になり、相対的な心が浮かび上がってきて台無しの心となる。
お釈迦さんが言う「苦行無益」、相対性の中で考えることをしないで超克するというのと同じだ。
苦行があるから楽がやってくると思いたいが、そもそも難病にあってもそれに振り回されない強い心を創ることだ。
この思いを信念にすることこそが絶対積極の心に違いない。
皆さんは「苦行有益」と考えられますか?