おだてに乗りやすい性格なのか?調子乗りなのか?
小学校時代、私は兄貴がやっていた落語を真似して、机の上に座布団を引き、みんなの前で演じていた。
中学生の頃は友達から周年事業の演劇があると誘われ、「イワンの馬鹿」の兄役と「杜子春」の鬼役の二つも演じることになった。
また、小学校から中学校時代には、人気があるからと生徒会の副会長をやらされた。
自分から進んでなりたいと思ったわけでもなく、周りから言われてやったに過ぎない。
未来の方向や、これと言って好きなことがあったわけではなく、なんとなく状況に流されていただけだ。
さて、高校進学の時からが本格的に自分で選択しなければならなくなる時期だ。
ここからが人との出会いだ。
私学の受験で明成高校を受けたが滑ってしまって、あとは公立高校しかなくなってしまったのだが、当時の担任の堀先生が公立高校の受験まで放課後毎日勉強を教えてくれた。
そしてさらに、人生では出会いが自分の運命を決定していると感じるのはこの後の出来事があったからだ。
大学時代にゼミの竹内先生と出会い、就職先を世話していただいた。
その就職先で出会った相澤社長が事業を立ち上げるコツを教えてくれた。
そして同じくその会社で出会ったのが理論物理学の小田切先生で、私の終生の人生の師となった。相澤社長は会社を倒産させてしまい、小田切先生の紹介で石材業をすることになった。
事業をしてからも小田切先生の紹介で岡田弁護士と出会い、20年近く月に1度2時間社会科学を教えていただいた。
私は自分で主体的に何かになりたいと思うことなく、出会った人に導かれ運よく今日まで仕事をさせてもらった。
出会った人に助けられ、感謝しかないのである。
そこで学んだのはお金の大事さはもちろん、人間の哲学観、仕事の構想力などで、いろいろなことを考えさせられた。
簡単にまとめると「目的」「目標」「手段」「表現」のこの4つを組み合わせることが大事だ。
「目的」=私心をなくし、世のため人の為になる公の志だ。
「目標」=目的実現のために計画し、階段を上るように一年後ここまで目的を果たすと未来に約束する。
「手段」=それを実現するための具体的方法を考え実行する。
「表現」=情報化社会ではこの情報の伝達(コミニュケーション)力、言い換えると人間関係を良くするために自らの見識を広め高め学び自分を磨くこと。
そして、何より大事なのは自分の人生を決定するのは「学ぶ」ことだということ。
論語の学而第一の最初に次のような一文がある。
「子曰く、学びて時に之を習う、亦喜ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。」
意味は「好奇心から学んで、時に学んだことを繰り返し繰り返し復習し、習慣化して自分の身につけたら、応用が利いて喜ばしいなアー!別の事を研究し学んだ友達が遠方から来て、何度も壁にぶつかってそれを乗り越え互いに身についたことの話をしていたら楽しくてしょうがない。」である。
学ぶことで自信が出来たのだろうし、さらに深く広く学びたいと友達と語ったのだろう。(私流の解釈)
みなさんは人生の出会いどんな学びされましたか?