南ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカさんはドイツよりも日本人が世界で最高の勤勉家と思ったそうだ。
東京を始め日本を見て、京都が一番素敵だと感じたのは、
美しい日本の文化が有り歴史があるからだという。
ある日、京都のホテルに泊まったとき「現代の日本人はイカレてる」と思ったそうだ。
それはトイレの便器のふたが自動で開く、歯ブラシが電動でブルブル振るえる。
あまりに過度な便利さは人間を弱くするというのだ。
経済優先の考え、さらにテレビの広告に金髪の男性や女性を見て西洋かしすぎていると感じたそうだ。
南ウルグアイではショーウィンドウの前に立って、「あれほしいな」とぽかんと見てるだけだという。
日本は技術の進化でロボットが仕事をする時代が来るだろうと予測されるが、
ムヒカさんはロボットは消費しないので経済の発展が無いと断言される。
言い換えるといくら生産しても買い手がいなくなるということだ。
合理的な頭脳を使って効率を追求し、ロボットに24時間働らかせる事を実現されたら、
人間は一体何を仕事するのか?
長崎のハウステンボスではロボットの受付女性がいる。
働く意味や意義、誇りや生きがいはどうなるのか真剣に考える時期がきてる。
資本主義の行き過ぎた競争は格差を生み人間疎外を現実のものとしている。
ムヒカさんがイタリア、ドイツなどの先進国を旅して感じたのは、
豊な国ほど「幸福」について考えてるし、未来永劫に幸福になるにはとも悩んでいるという。
東京は安全な街なのに自殺者が多いのは、
人間らしい生きがいがもてないで心と体のバランスが取れていないのだろうというのである。
残念だが全くご指摘の通りだ。
幸福とは主観的なことだ。
ところが物質文明に犯され、相対的幸福を追いかけ心が空虚になり、
悩み苦しんでいるのであるにもかかわらず、
宗教を否定して理性こそ神様だと唯物論を振りかざしているのが現代人だ。
「随処に主なれば至る所真なり」という臨済禅の言葉がある。
意味は足すも引くもしない、「今・ここ・自己」を絶対化する。
社会的な関係性や自分の好き嫌い、損得、善悪の感情に左右されないで、
今を生き切る、今に飛び込めば真実と出会うということだ。
人間の理性からも解放されるということだ。
「足るを知る心」を醸成し、自然に畏敬の念を持ち感謝して人間が使わせてもらう。
仕事は誰かほかの人や命に役に立つから生きがいになるし、自分でも誇れる。
京セラの稲盛さんの言うように「利他行」をすることに矛盾なく行動する心を高め磨く事だ。
何か日本の勤勉さの方向は自分の心を高め磨かず、
外の環境変える技術論の合理性に行き過ぎていませんか?
バランス感覚を失ってるように感じる。
皆さんは如何考えられますか?