「本物の経済人」について

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福沢諭吉は「立派な経済人、実業家は思想の深淵なる哲学者のごとく、心術の高尚正直なるは元禄武士のごとくにして、
これに加わうるに小俗吏の才能を持ってし、これに加わうるに土百姓の体をもってして初めて実業社会の大人たるべし」
一番大事なのは高尚なまっすぐな心だというのである。まっすぐな心とは利己的にモノをほしいままにして欲望を満たす喜びではなく、
欲望から遠く離れた利他的な社会貢献であり、他人を喜ばすことだ。

若い時には自分がなりたい欲望を満たすために働いていた。世の中は浮いたり沈んだりする大海原で船をこいでいるようなもので、
海があれると不安や恐怖がやってくる。先の見えない真っ暗な海を航行するのは命の危険を感じ夜も寝ない勢いで夢中で働いた。
そして、麻薬を飲むように酒を飲んで憂さを晴らしていた。

諭吉の言う立派な経済人どころか欲望が主人の暴走族であったように思う。これではいけないと思うのだが小さな世界観の中でもがいていた自分がいた。
平成の元年40歳になって、部下も20数名になって、この人たちの生活を守る責任がある。私のような何も知らない未熟者とともに人生のリスクを背負って、
一緒に働いてくれる人を悲しませるわけにはいかない。そこで経済人とは何が必要か学び始めた。会議はロバート議事法から学んだのである。
さらに、継続的に経営する哲学とは何かを京セラの稲盛さんから学んだ。「考え方×熱意×能力=仕事・人生の成果」を金科玉条に、
利他行一番で世のため人のための行動をすることを喜びとすると言い聞かせた。未熟なものであったに違いない。

諭吉の高尚正直の正直には自信があった。小さい時から母に「馬鹿正直は馬鹿のうち」といつも怒られていたからだ。
物事を隠すことはしない性格で、何でも母に話していたからだ。高尚ではなかったことだけは確かだ。経営について深く学ぶとわかってきたのは、
公明正大という考え方だ。それは人間としての物差しである「損得や好き嫌い」で物事を考えては正しい方法が考えれないということだ。
言い換えると事実を絶対肯定してありのまま(如実知見)見るということだ。宇宙の意志という自然の法則に同化した自分になって、
素直に現実と向き合うことだ。
宇宙の意志=生成化育、発展し調和する法則を宿している。人間界でいうと自己肯定、他者肯定して調和することだ。
自分という利己的な自我があったら、事実をありのままに見れない。利他的な愛、利他心で事実を見ることで、調和の手段方法が考えられる、
しかし、これだけでは半分しか行動できない、もう半分は自分に対して「足るを知る」ということで利己的欲望を少しでも抑える克己心がいるのである。
いうなれば自分との闘いに勝たねば、利他行もきれいごとのええかっこで終わってしまうのである。まさに仏教でいうところの「自利利他」である。

コロナウイルスという災難が世界中に広がっている。これを喜ぶ人は誰もいないが、この災難が私にとってはうれしい、この災難をどう乗り越えるか、
恐怖と不安を抑えられる絶対積極意識をもって自分と闘わなければならない。それには勇気(行動)と熱意(利他心)と能力(手段、方法)がいる。
やってみなければわからないがワクワクする。少しでも本物の経済人に近づくことを願って、日々自問自答して決断と行動に徹して解決する以外ない。

皆さんは本物の経済人いかが思われますか?

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