大阪石材社長ブログ

「風と草」に思う

投稿日:2022年4月23日 更新日:

中国の古典は実に明快に立派な人物になることを表現している。
そこに出てくる国家の元首的な人物を君子と言い、その民を小人と言う。
会社で言えば君子は管理職、小人は一般社員を指し、家族で言えば親が君子で、子供たちは草で小人を指すのだろう。
個々の会社・家庭には社風・家風と言うのがあって、風が強く吹くと草は倒れる。
物心がつく頃の私達はみんな小人であることに間違いない。

後漢書に「疾風に勁草を知る」という言葉がある。
意味は強い風が吹くとどれが強いか知ることができる。
論語にもよく似た言葉がある。
「子曰く、歳寒くして、然る後に松柏(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)るるを知るなり。」
意味は「寒さがはなはだ厳しくなってから、松や柏が他の木のようにしぼまないのが解る。(人も苦しみにぶつかって初めて真価が解るものである。)」である。
「君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草、之に風を上(くわ)うれば、必ず偃(ふ)す)。」
意味は「君子の徳は風で、小人(国民)の徳は草です。草に風を当てれば必ずなびく。」である。

孔子は「君子には三つの条件がいる」と言っている。
「命を知らざれば、以て君子たることなきなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり、言を知らざれば、以て人を知ること無きなり」
第一に、天が自分に与えた任務、天命を知っていないようでは立派な人物とは言えない。
第二に、礼の何たるかを知り、身に付いていないようでは自主独立、自己を確立することが出来ない。
第三に、人の発言を聞いてその人の心が読み取れないようでは、人の上には立てない。

最初から君子みたいな人がいるのではなく、最初はみんな小人だ。
その自分を知って、自分を磨き、小人の草だった者が、人に風を吹かせて徳の香りを放つように君子の三つの条件を身に付けていくことは誰にでもかなう。
自らの天命を信じる強い思いがあれば…である。

皆さんは自分で自分磨き楽しんでいますか?

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