大阪石材社長ブログ

「大学」に学ぶ

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『大学』言う古典には3つの綱領がある。
1.明徳を明らかにするに在り
2.民を親しむるに在り
3.至善に止まるに在り

1の「明徳」とは徳、すなわち素直な心で天から与えられた天命を使命として行動しろということだ。
純粋な心、まっすぐな心を邪魔するのは「我」であり「私」である。
雲がかかったように事実が見えなくなるのを、家庭の主人(主君)なら、子供(民)の健やかな成長のために一体感を持って頑張れば、「我」は二の次、後回しになる。

2の「民に親しむるに在る」というのは、責任を持って民(家族)を愛し育むということだ。
自分の欲望は二番にするのだ。
子供と競い合って好き勝手していたのでは徳はできないということだ。

3の「至善に止まる」というのは、「我」と「私」が二番になるには、ビジネスマンとしては家族(民)だけでなく仕事の仲間や業界の人達みんなのために働き、善行(利他行)をすることだ。
言い換えると、ビジネスをする者は利益が大事だが、これは結果だというのである。
人間の社会では「利」は結果に、原因を「義」を一番にして善を実行することだ。

天地のルールを道理と言って、人のルールは義と言う。
『春秋左氏伝』に「利の元は義なり」「義は利の和なり」とある。
ビジネスに携わる人間は「利」を目的に損得で判断しがちだが、これでは持続的な経営は出来ないということだ。
あくまでも目的は「世のため人のため」であり、そのための行動が出来ているかを毎日自問自答し、新しい仕組みや商品やサービスを革新的に変化させる努力を怠らないことだ。
今も二千五百年前の孔子が生きていた時代でも人間の判断の基準は変わらない。
これが実行できる人だけが持続可能な経営ができることは間違いない。
天地の原理原則に従って人間社会の「義」を貫くことを先人たちは現在の私たちの教訓として伝えているのだ。

これは理想論ではない。
自らが健康になりたければ運動して、食事に気を付け、睡眠よく取り、深酒しないでしょう。
このことと同じで、堅苦しく考えなくても大人になるにはそのぐらいの忍耐力がいる。

1970年代にアメリカである実験がなされた。
100人ぐらいのお腹がペコペコの被験者の前に一つのカステラを置き、「20分我慢した人にはもう一個差し上げます」と言ったらどうするかを見るというのがテーマだ。
結果、目の前のカステラを食べずにもう一個もらった人の追跡調査をしたら、ほぼ全員の人が良い学校に入って、立派な社会人になって、成功したそうである。
この結果でも解るように、耐える力、「我」を抑える力こそが未来の可能性を引き出す力とも言える。

皆さんは大学の三つの綱領、自分と関係ない理想論と思われますか?

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