客観とは良心

投稿日:2014年3月25日 更新日:

私たちが自分の主観を抜きに考えられない存在である。
主観でも自分以外を傍観する立場で見ることが出来ますが、
科学の実験でデータを取り法則を見出すやり方だ。

小保方さんのように自分の仮設に合うデータを集めてしまうのが主観の取れない人間である。
(良いとしなくて無意識に自分の都合のいいデータを集める)
稲盛さんもセラミックの研究に向き合うとき、
私心をなくし無我になって事実と向き合い自己の主観を排除することが困難だと
おっしゃっていた。
今、世界中で話題に載っていて、実験してもできないと問題になってる論文ということで
申し上げる。

私は科学者でないから事実が客観的で正しいかについては検証できないことをお断りする。

科学主義で観察は客観と考える現代人であるが、主観を抜く真摯な態度が必要だ。
恩師小田切先生は科学者の観察は『觀主観』といって観てる主観で客観ではないと
よくおっしゃっていた。(もちろん法則を導いた客観もある)

西谷啓治先生は面白いことを書かれている。
『良心』についてだ。
「私の良心は他人には絶対わからないものである。
自分から言わなければ他人はわからない。
そういう意味では良心ほど主観的、個人的なものはないと言える。
それなのに、この良心は時々私を呵責してくるんですね。

『お前そんなことしてて良いのか?』と。

自分の中にありながら、自分を厳しく責めてくる。
自分にとってそれほど良心は客観的なものであると述べられる。」

カントの墓に書いてあるそうですが、見たことはありません。

『これを思えば思うほど心が崇高になるものには二つある。
 吾が内なる良心、そして天上に輝く星々』(実践理性)

カントさんは内なる良心は客観的だと大切にしていたそうだ。

仏教で言われる三方印の『諸法無我』というのは私心が入ることはなく、
『諸行無常』すべてもののは形あるように見えるが変化しどんどん形を変えていく。
まるで大空の雲のように、雨になり、川になり、海に流れ、雲になるように!!
そんな法則の中で縁によって流れているのが自分の存在であるに違いない。(無我現実)

こう考えると実に楽しく、開放的で、大空の一員のような爽快な気分になる。
『良心』は時々どころか、私利私欲にまみれる私には常時現われて主観を除けと気づかせて
くれてる。(反省あるのみ、成長の可能性ありかな!自己肯定)

みなさんは良心が時々呵責してきますか?

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