青春時代の未熟な時には他人と比較して無意識に自分で劣等感を植え付けていた。
われわれ団塊の世代は200万人を超える出生で、とにかく競争が激しかった。
戦後で生活が貧しく、良い生活している人に憧れたものだ。
自然と物欲が強くなったのかもしれないし、お金さえあれば幸せになるとも思っていた世代だ。
だからみんな大企業に入るため、良い大学目指して頑張って勉強していた。
勿論私は落ちこぼれであったが、小学校時代から先生には人気があると誉められて、他人を喜ばすことが好きで落語なんかをみんなの前で披露したり、小学校4年生から生徒会の副会長をしていた。
両親が働いていたので母を助けたいと思い、同じく小学校4年生の時に新聞配達をしたいと自分から言った。
たまたま近所の一年先輩の牧野君がやっていたので紹介してもらった。
頭は悪いが肉体を動かすことは苦にならなかったのは、この頃からの習慣かもしれない。
そして自分は愚かだと分かっているから、他人に何かを聞くことを恥ずかしく思ったことはない。
愚かさを自覚することによって2つ良いことがある。
1.耳学問ができる。(自分で本を読まなくても聞けばいい)
最初は誰かれなく聞いていたが、人は知らないことを聞くと怒り出すことに気づいて、
その人の専門で得意なことを聞くようになった。
2.嘘をつかないから楽に生きられるが法螺(ホラ)吹きになった。
過去と現在に嘘はつけない、しかし未来のことはまだ来てないから法螺が吹ける。
いつも夢みたいなことを話していた記憶がある。
でも、時々落ち込むことがある。劣等感だ。
そんなとき、恩師の小田切瑞穂に出会った。23歳の時だった。
初めて先生と直接話した時「君は“鬼に金棒”って知っているか?」と問われた。
「はい」と答えたが、ちゃんとした定義は知らなかったので内心動揺していた。
先生は「君は鬼の部分はあるが精神の柱がない」とこういうのである。
金棒がない軟体のナマコみたいなものだ。
そこで先生に問いました。「どうしたら金棒を持つことができるのですか?」
先生に「私が主催する東方学術院という会があるからそこに入りなさい」と勧誘された。
第一回目は梅田の太融寺で開催された。難しい話だったとしか覚えていない。
若い時はお金がないと幸せになれないように考えていたがそうではない。
幸せは自分の心が決めているので、まず仕事ができることが楽しいといつも思っていた。
そして、家族でご飯を食べるのも、子供の送り迎えをするのも楽しいと思うようになっていた。
子供と風呂に入るのもまた楽しい。お金があるから風呂に入れるというのではない。
昔は家風呂がなかったから銭湯に通っていたので銭湯は広くて温まるので好きだ。
幸せは自分の身近なところにある。幸せは何事にも楽しいと思えることがコツだ。
プライドなんかどうでもいい。ゴミをほかしに行くのも楽しいと思えたら最高だ。
小さい時は食べ物に好き嫌いが多かったが、今はほとんど何でも食べられる。(自分で努力した)
人付き合いも好き嫌いはない。苦手な人はいるが、幸不幸は自分で創っているに違いない。
日蓮さんの言葉に「地獄というも極楽というも外にはそうらわず、ただ我らの胸の内にある」
皆さんは幸せのコツで幸せ呼び込んでいますか?
「幸せだと思う」幸せが寄ってくるコツ
投稿日:2021年4月25日 更新日: