大阪石材社長ブログ

「物が豊かになり、心が滅ぶ」

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私は奈良の薬師寺に36~37年説法を聞きに行っている。
高田好胤(たかだ こういん)さんが管主だった頃は、いつも時間オーバーで熱心に諭された。
その時のセリフが「物が豊かになり、心が滅ぶ」だった。
その後は、当時執事長の安田瑛胤(やすだ えいいん)さん(現・長老)が主催される大阪はらみつの会で学ばせて頂いている。

さて、戦後日本のGDPは約500億円だったが、1990年には約500兆円近くになった。
モノづくりの技術立国として、世界に輸出振興していた時代だった。
(80年代はジャパンイズナンバーワンと言われた)
アメリカに次いでGDP世界第2位の地位まで上り詰めたのだが、世の中は技術を革新し、機械化することでより効率を求めていく考え方が浸透し、人間がモノ化してゆき、温かい情のある心がどんどんなくなって人間関係も希薄になり、たくさん人がいる都会でも孤独感を感じざるを得ない時代になったのである。

アリストテレスは「目的があって手段がある。」と言った。
だから個人の決断が重要だ。
しかし、現代はもっと深刻だ。
構造が逆転して、大前提は手段が明確で、小前提が目的になる。
言い換えると「人格の平等がなく、能力の不平等である手段」が一番に評価され、個人の道徳的な責任をとらなくなった。
会社や組織に必要なければ仕事を辞めるだけで解決してしまう。
それも仲間に相談するのでなく自分で独り答えを出す。
転職は労働の移動が自由になり、スキルアップし、市場が活性化するという美名だが、実態は社会では努力の足らない落伍者か才能を私物化した盗賊と扱われるだけである。

我々は自分を磨いて価値のある命に育てるのは自分だということを教育されていない。
だから、経済的に生産性が上がるなら、道徳的な観念はいらないと平気で人を裏切る人格のない人が横行するのである。
唯物人間になってモノ化しているのである。
人間の本質は時間の中で自分を育てる。それも「心」である。唯心的自分を創る。
この両輪の輪が揃って「人格の平等と能力の不平等」を受け入れられる広く深い心ができる。

フィリピンのストリートチルドレン(路上生活者)は一つのパンをみんなで分け合って食べる。
日本も貧しい時はこんな精神が自然に育っていたのだろう。
経済無くして生命は成り立たないが、もっと自分を客観化して利他の心を一番に行動する自分でありたい。
人間が機械化すると、自分の良心がなくなり、モノ化してしまう。
社会にある信号機を守るという判断しかできなくなり、自らの創意工夫する覚悟と決断の出来ない人格になる。

論語の雍也(ようや)第六にて、樊遲(はんしゅ)が孔子に「仁」について問います。
「樊遲、仁を問う。子曰く、仁者は難きを先にして獲ることを後にす。仁と謂うべし」

伊與田先生は、「樊遲は生来小人型の人物で自己中心的な傾向があったんでしょう。そこで難しい与えるほうを先にして、楽な獲る方を後にした。すなわち先難後獲がより人間らしいあり方で、その心を仁と教えたのであろう。」と訳されている。

皆さんは心滅んでいませんか?

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