大阪石材社長ブログ

「年長者が尊敬されていた江戸時代」

投稿日:2023年9月20日 更新日:

最近は年長者を尊敬する傾向も薄れ、丁寧語は使うが敬語をきっちり使う若者は珍しい。
現在戦後78年になるが、1960年頃私が十代の頃は、敬語をうるさく言われた覚えがある。
当時は親の言うことを聞かなかったら、「警察か先生に言うよ」と母は口癖のように言っていた。
何が何でも年長者を尊敬する風土があったが、私は年長者でもあの人は尊敬できるが、あの人は尊敬できないと分けて考えていた。

何故そんな文化があるのかを江戸時代に遡って考えてみると分かってくる。
江戸時代には「若隠居制度」というものがあって、45才ぐらいで実際の仕事を子供に継いで隠居することがよくあった。
隠居して何をしていたかというと、町の木戸の番小屋の当番や、火の用心の夜回り、町内会の役員をするなどをして、隣近所の世話役になり、自ら自治をやっていた。隠居とはいわゆる世のため人のための公人意識を持った自由人になることだ。

そんな町内を世間(自分に縁のある世界)と言ったのである。
だから世間はいっぱいあって、政府ができない公的なことまで世間が集まってやった。
例を挙げると、明治の堺の港湾事業は民間ですべてのお金出し合ってやったのである。
幕府も一つの武士世間であり、都市は都市世間(商い)、民は民世間(農業)があって、役割分担していたので交流はなく、住む地域も違い、しきたりも違っていた。武士とは民は結婚できず、武士に無礼をすると無礼打ちという具合だ。

さてこんなことで、古くから年配を尊敬するのが必然だった訳だが、現代は時代ががらりと変わり、45歳は働き盛りでまだ自分の生活のため自分で稼いでいる年齢で、60歳の定年が今や70歳になって、嫁さんも働くという共働きの時代でもあり、年寄りが町内の事をやる公人の生き方ができず、未だ生活のために働いているのが実情だ。

長年お墓という事業をやってきたが、昔は年配のボランティアの方が村の墓地の墓地委員をやって、墓地の清掃や管理費の集金をしていたが、昨今はその後継ぎの若い人がやりたがらず、管理専門に委託するようになってきた。
言い換えると、村や町と言った世間が崩壊して、公人意識を持った自由人がいなくなり、セコムのような法人にみんなでやっていた防犯なども委託するようになって、さらに個人の脈拍から血圧、体温を情報管理する時代だ。
日本人から公人意識を持った自由人が世間システムから消えてきて、経済的に働き続ける世間となってしまっている。

江戸時代にあった花咲く町人文化は商人の「始末・才覚・算用」をモットーに、人格と経済を共に成長させる仕組みであった。
「三方よし」は「売り手よし、買い手よし、世間よし」が各地区・各場所で実現されていった。
代表的な人物は淀屋常安(よどや じょうあん)であり、武士の息子だったが木材業の商人になり、商いは大阪が本場と淀屋橋に出てきて身を立てた。

現代人は世のため人のために時間をかけて公人意識を養成するプラットホームがない。
そこで西洋で築いてきたSDGsと言う理念、持続可能な開発目標17項目が2015年9月国連サミットで加盟国全員一致で採択され、昔日本の世間が作っていた公人意識を民間企業が目標設定し、世界中が酸化し、実現させようという動きになってきている。
日本人が今までやってきたことに世界は気付きだしている。あまりにも民のプライベートが行き過ぎる経済市場主義的行動への警告だろう。

江戸時代にあったに梵人の遺伝子をもう一度甦らせ、素晴らしい世間を作っていき、社会をより良くする人材を育成しよう。

みなさんは年長者を尊敬していますか?

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