8月1日に大腿骨骨折でリハビリをしている営業課長が、
皆さんに迷惑かけたので挨拶に来たと出社した。(現在もリハビリ中)
その時に、人生で初めての自己嫌悪が襲ってきて二週間は辛かったが、
心身共に傷つくことで見えてくることがはっきり解ったと語りだした。
「自問自答」せよ、と部下によく言っていた。
自分の自問自答は自己正当化して「自分は善をしてる」と独善化した利己心だった。
こう反省の弁を語りだした。
「自問自答の四つのパターン」(要約すると)
自分の中に自問自答する相手が四人いると話す。
1.自分と自分(自分より価値観が低い自分で、努力しない常に新しいものに挑戦しない自分)
自己正当化し独善的になる傲慢なおもいあがった自己形成になる。
2.自分と自分(自分より価値観の高い理想を持ち、現状をいつも自己否定する自分)
理想に自分が押しつぶされ、周りにも理想を押し付け現状に常に不平不満を持ち自虐的になる。
『うつ病』や『統合失調症』になる。
3.自分と他人(自分の中に価値観の違う他人と自問自答し、いつも他人を優先し迎合する寄生虫的な自分)
自分の価値観を成長させようとせず、自分の損得好き嫌いの基準で選択して、
都合のいい他人(親のような人かな)不自立な未熟な子供の精神だ。)
4.自分と他人(自分の中に公明正大という宇宙の価値、天の価値の他人を住ませ、
自分のちっぽけな人間的価値で判断した利己心でなく、
天の価値(本心、良心)で判断し利他心的な判断を優先する他人)
なかなか鋭い分析だ。
ところで「これを頭でわかっていて行動できないと本物でない」と問い返すと、
「必ず実践してみせます」と頼もしい答えが返ってきた。
人間は『自分』『自分』と生きるのが本能であるが、
尼僧の青山俊薫さんの本に『手放せば仏』という言葉がある。
本能はいつも手を握り締めグーにしてる(自分を一番に)のが普通ではあるが、
天から与えられた命を使わしてもらってると『天』を一番にすれば素直になれるのは間違いない。
骨まで折って痛く辛い目にあって気づくのも人間の性である。
論語に『小人閑居すれば不善をなす』という言葉があるように、
誰も見ていない一人のときにこそ、他人事と思わず自分の中の他人。
「本心・良心」と自問自答することを実行し、自然に振舞える作法にまで高めたい。
皆さんは自問自答の相手、自分ですか?他人ですか?