石田梅岩は亀岡の農家の次男(江戸中期の人)先祖は武士だった。
34~5歳のころ「自性とは何か」を疑問に思い、師を求めた。
それまでは独学を貫いてきたが、京都中を探し隠遁していた了雲老師を訪ね弟子入りする。
了雲老師の父は越前藩の要職にあった人だった。老師は黄檗宗で学んだ人だ。
京都で商売勤めをしていたが、40歳ごろから自分の道を解く道に励んでいく。
現代では「石門心学」と呼ばれている。
身分や男女は問わず、道を学ぶことを使命、志としたのである。
半兵衛麩という創業1689年の京都の老舗の三代目も梅岩に学んだ。
太平洋戦争のさなかに十一代目の玉置半兵衛会長が中学生のとき、
戦前、戦後の統制経済下、原材料は闇市でしか手に入らないで苦慮し、書画骨董を売って生活していた。
そのとき父から「ここで闇の麸屋をしたら、ご先祖に申し訳がたたん。
若いうちに楽なこと先に覚えんと、嫌やけど、苦しいこと、
貧乏の辛さを頭の中にしっかりと覚えておくほうがいい」と諭された。
三代目からの家訓として梅岩から学んだ、「正直に商売すれば栄える」、
「先義後利」の教えである。
京都で当時、闇の麩を作っていた企業が現在一軒も残っていない。
善行をするとあるがこれは善と悪との相対的な善を言ってるのではない。
了雲老師に学んだ「善悪」という分別を超えた「超善(絶対善)」を意味する。
私のような凡夫には実際に行動できない次元であることは間違いない。
しかし、挑戦しないわけにはいかない。
恩師小田切瑞穂先生も「分別知を離れろ」と良く叱られたことを思い出す。
当時は「善し悪しがわからないと騙される」と反抗していた自分がいたことは確かだ。
また心学を学んだろうという人物に、スパーマーケットの経営のイズミヤの創業者和田源三郎さんの信条に、
「商売の起源は物と物との交換より始まり、売り手も書いても満足しあったのがその起こりで、
利益のために商売するのは本筋ではありません」
源三郎さんは船場の呉服屋に勤めていて、船場の「心学明誠社」になんらかの関係があったに違いない。
今は取引はないが、30数年前に「お客の役に立つなら」と言って、
スーパーの店頭で墓石の実物を並べさせてもらったのがイズミヤさんだった。
(当時は御客さんは賛否両論で、先祖をなんと考えてると、お叱りを受けたほど画期的だった)
歴史の中の人物が今に伝える商いの精神「先義後利」肝に銘じる次第だ。
皆さんは如何感じますか?