先日は雨の花見で桜がかわいそうに、雨に打たれ花が地面を埋めていた。
娘と孫を佐保川の桜見に連れて行ったが車中から見ただけだ。
「残念だ」
「たまの休日に」とつい愚痴が出る。
無意識だが自分にとって天候であれ、都合に悪いことが起きると環境を否定する言葉が出る。
人間に対しても同じで、相手が自分の思い通りに反応や行動してくれないと非難し否定する。
本能はいつも自己肯定だ。
こんな自分むき出し(自己中心的考え)では人間関係なんかうまくいくわけがない。
マラソンの高橋尚子は優勝の二文字を追っかけ、努力に努力を重ね練習に打ち込んだ。
それでもその日の体調や天候によってベストの走りができないときがある。
私だったら「悔しい」と自分のやってきた努力を「無駄」と決めつけ自分を否定し、
悩み続けることをするか、コーチのやり方が悪いと非難して他人の責任にするかもしれない。
努力して思い通りになるのが当たり前なのに、現実が違うことに腹が立つのだ。
トップアスリートの考えは違う。
結果の出ない自分を否定しないのだ。
「何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばせ やがて大きな花が咲く」
そんな時もある。
いつも思い通りに行かないことを知っているが、
努力は裏切らないことも知っている。
もっとすごいのは、萩本欽一さんこと欽ちゃんは、
「自分の都合で遊びに行くときは雨が降るのは運をためることになる」
不運だといわないのだ。
この言葉には絶句した。
「ありがとう」の反対語は何だとおもいますか?
「ありがたくない」ではありません。
「当たり前」だ。
耳が聞こえるのも、眼が見えるのも、ご飯が食べれるのも、
水道水がいつも出るのも、電話がいつもかかるのも、
お母さんがご飯作ってくれるのも、友達が相談にのってくれることなどなど。
春夏秋冬があるのも、太陽の光、空気があるのも「当たり前」になってる。
今日、生きてることが不思議なぐらい「ありがたい」のが現実だ。
当たり前のときはうまく行ってるから「ありがたい」を口にするが、
思い通りに行かないときにこそ「ありがたい」と腹を立てず、
「雨の花見で運がたまる」と言える心をつくりたい。
皆さんはたまの休みの雨の花見どう感じます?