池波正太郎の鬼平犯科帳は実に見ごたえのある番組だ。
中村吉右衛門の鬼平の見せ場は盗賊の前で、
「盗賊改めの長谷川平蔵だ」と堂々と立ち向かい、凄むさまには、
「日本一」と思わず叫びたくなる。
さて、脚本には必ず死体がどこかの場面で出てくる。
岡っ引きがやってきて「仏さん」は「何処のどいつだ」と言うのである。
我々日本人の死生観では、死ぬことを「成仏」すると考えているのである。
成仏するとは覚ることを意味する。
人間が生きてるには歴史という時間軸がある。
死ぬと時間軸がなくなる。
魂と肉体が離れて時間のない世界で生き続けるのを「仏」という。
「後悔」=過ぎ越し苦労に悩むこと(くよくよ)過去
「心配」=取り越し苦労に煩わされる(失敗したらどうしよう、事故でも起こったら)未来
人間の苦しみの根源は「後悔」と「心配」の二つによって「今」を一生懸命生きれないから生じる。
本当に実存してるのは「今」だけ、『今』には後悔も心配もありません。
物事に集中してるときには時間がたつのが早いだけでなく、忘れてしまいます。
「今、今、今、-----」
「苦」=後悔・不安が入り込む余地がない。
「世の中は 今日よりほかは なかりけり
昨日は過ぎて 明日は知られず」という格言がある。
また、ブッダの言葉に
「人生は心の創造物なのだ。
今日あるのは昨日の想いから、
今日の想いが明日の人生を形作る」
言い換えれば、時間軸を連続にしているが、
実は「今、今、今ーー」の存在を生きて、結果に過去と未来が現れると諭す。
自分の土俵(仕事や生活環境)のど真ん中で今をど真剣に生きたら、
自分の人生の足跡(歴史)ができるだけである。
良寛の詩に「相逢うて 相離れ 去来白雲の心
唯、霜を留めるも跡はなし 人間尋ぬべからず」
人間の出会いもまた霜のように消えるはかないものだ。
こだわるな執着するなと叫んでいるように聞こえる。
後悔や不安の入る隙の時間を作らない「今」をど真剣に生きる、
誰にも負けない努力で天を味方につけて!!!
皆さんは後悔・不安をどのように退治されてますか?