この前のブログは、来る節分になぞらえ「福は内」について書きました。
今日は「幸」について書きますが、これは「福」とは違って、自分の主観的な思いでなく、偶然的で、他から与えられたものを言う。
たまたまいい家庭に生まれたとか、思いがけなく巡り合えたということだ。
森信三先生によると人間は3つの要素で出来上がっているとおっしゃられる。
「血」と「育ち」と「教え」の3つだ。
自分という者を考えてみると、つくづく両親の思考癖が出てくるものである。
血とは遺伝子レベルの事で、育ちとは生まれてからの環境からくるアクというか卑しさが出る。
それも若い時には気づきにくく、40歳を超える頃に気づきだすものです。
だから、教えを学び繰り返し収容しなければ、なかなか血や育ちが抜けきれないのも事実だ。
しかし、だからこそ深い決意をもって取り組まないと容易には取れない。
ちなみに、私は社会人になって、今の自分では社会に適応できないと感じ、師を求めて学び続けました。
創業時は理論物理学の小田切瑞穂先生に仏教と先生独自の「潜態論」、その後は社会科学を弁護士の岡田和義先生の教えを受け、共に20年間学ばせていただきました。
しかし、血と育ちという人間のアクが随所に出てくるのを感じずに入られない。
自分の育ちのアクをとるのに20年はかかったということになる。
まだまだ、修養が必要と感じる昨今である。
人間の観念は常に相対的に分析する癖がある。
しかし、相対性を超えて絶対的に事実を捉えることが大切であり、100%現実を受け入れることで事実を良くする智慧を得て行動することができて、進化もできる。
現実は喜びもあり苦しみもあり、楽しみもあれば悲しみもある。(相対的)
この両方を素直に受け入れるからこそ知恵も出るし、行動によって新しい解決方法も体得する。
損得、好き嫌い、善悪という価値判断基準があるとすると、自分にとって損すること・嫌いなこと・悪い事実を100%受け入れることこそが自らを成長するチャンスなのだ。
自分にとってマイナスなことこそが未来をひらく智慧と行動力を産み出す源である。
人間の肉体は老化するが精神は一生成長し続けると言い切れ人間のあくも自然と取れていくことだろう。
みなさんは自分を人間の3つの要素から見ておられますか?