光があれば影があるように、事実を相対化してみる習慣がついているのが自然だ。生まれたての赤ちゃんは絶対化して本能のまま動いているが、自我が形成されてくると相対的に見るようになる。
中国の諸子百家時代の孟子は理想主義派と言えるし荀子は現実主義だ。視点を変えれば「孔孟」は現実主義で、「老荘」は理想主義派だ。
だから、人間主義、人道主義というと一方は自然主義になる。
人道と言えば天道が出てくるように、どちらか一方が正しというわけでなく、相反する両方があるから現実が如実に見えるのである。
イメージとしては「乾電池」を思い浮かべてください。
一方はプラス、一方はマイナスで電灯がつくのである。
私達の心から悪や消極性や失敗や絶望などという観念があるから、善が理解でき、積極意識が未来をつくる原動力になり、成功を自覚でき、希望ある気概が持てる。
ややもすると、善の善を絶対と考えがちだが、自分の都合によって判断したに過ぎない。善でもなく悪でもないとらえ方は現実を100%受け止め、受け入れる姿勢だ。
決して傍観的になってはいけないのは、相対的に矛盾をはらんだ事実に飛び込み新たな道を創造することだ。
現実は善でも悪でもなり得る可能性に満ちている。この矛盾こそが、原動力となって生き甲斐を想像し、行動によって仕事・人生ができていくのである。
みなさんは矛盾を原動力にしていますか?
「矛盾が原動力」
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