大阪石材社長ブログ

「成長思考こそ生きがいを生む」

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150数年前の日本は江戸の士農工商の時代でした。
その当時は農民が84%で僧は1.5%、町人は5%、武士が7%という人口で、全国では約3000万人と推定されている。

明治元年が1868年で、西洋の近代文明に追いつくべく絹織物を輸出品として、富岡製糸場が官工場として、養蚕を奨励していった時代だ。
150数年前の人が今日の1億2500万の人口と、仕事も農業や漁業といった1次産業でなく、3次産業、4次産業が盛んになり、コンクリートのビルディング、高速道路、パソコンで仕事をする事が想像されたでしょうか?

生成AIが活躍する時代になり、あちこちで自分の分身のアバターが肉体的、精神的苦痛を、本人に成り代わって行動するだろう。
そこまで時代が進んで人間の認可としての本当の価値をどこに見つけ出すかが課題でもある。

過去を振り返ると団塊の世代が社会に出たときはどんどん経済が拡大基調にあり、科学技術の進化が著しかった。
その時代は「競争に打ち勝つ」ことこそが時代の潮流だった。具体的に給与が高い、役職に就く、名声を得ることが求められた。
でも一方では人間疎外といった課題も表面化して、競争に勝って喜びよりは孤独感があった時代で私は競争から落ちた落伍者だった。
疎外感による人間関係が壊れていくことが無意識に受け入れられなかったのは自立心が芽生えてなかったともいえる。

さて、昭和48年に第4次中東戦争が起こき、オイルショックが起こり多くの倒産が見られた時代から世界の日本へ躍り出ることになる。
その後は世界の中の日本で大手企業は海外へ進出しイザナミ景気、デジャブ景気と日本の品物の品質がいいということで、自動車をはじめあらゆる商品が世界中で喜ばれる時代となったのは「競争」でなく、「達成」という目標型の思考傾向へとなっていくが、達成しても何か「欠乏感」が残ると同時に世界の経済活動の根本は人口の規模が発展の基本になっていき、バブルが崩壊するのは平成元年(1989年)のことだ。

言い換えると、世界はみんなつながっているという世界観が広まり「達成」から「成長」へと自分を見つめることこそが人生の成功という時代になってきた。
私にとってはこの「成長思考」は実にぴったりで楽しい。人間が生きるっていうことは「成長」し続けることだからと考えると、現実に起こってくることをみんな自分が成長し身につく良いことに見えてくる。
1.困難(失敗や苦労)にあってもそれに押しつぶされず、「可能性を拓く機会」と考えられる。
2.困難から何かをつかみ自分が強くタフに成長し生きることができる。
3.「今ここ自己」一日を生ききるというど真剣さが身に付き心構えができ、日々成長を味わえる。

自分を磨くといえばそうだが、成長は自分個人の課題から生きるという課題へ飛躍し、さらには個人の成長から社会への貢献という飛躍もある。
他社との競争や物質的な目標達成よりも深い、心の奥からの成長欲求は未来を生きるという確かな人生観であり、困難や、矛盾をよりよく解決しど真剣に生き抜く姿こそが、人間が与えられた使命であり、ワクワクドキドキして楽しい日々を実現させられる。

私たちに「死」は必ずやってくるように設計されたのは、生きることが成長することだと気づき精一杯自分を生きるから、世界を見渡すと同じように精いっぱい生きてる命が輝いていることがわかるのだ。
人間の生きがいも成長思考によって創造されていることに気づく、仕事は「万病に効く薬」といった稲盛和夫さんだ。
まさに、誰かの役に立つことをすることが、結果社会に役立って、結果自分の生きがいを生むことは間違いない。

皆さんは成長欲求全開ですか?

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