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「私の日本人論」について

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第二次大戦後、ヨーロッパでは今まで築き上げてきた社会が崩壊し、自信を喪失していた状況で、そこに実存主義のフランスの哲学者であり小説家のジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(1905~1980年)が現れ、人間の存在すなわち現実をしっかり見つめ、立ち向かっていく実存に目を向けるきっかけを作ったのである。

そのサルトルが晩年日本に来て歌舞伎を見てもあまり感激しなかったが、能を見たときに、「日本はこれだ。ここにこそ日本がある」と感激したそうだ。

能面というのは下向きになると悲しく見え、上向きになると元気な表情になり、虚無的でなく能を舞う人間は完全に自分というものを捨てており、他者に成り切って積極的に舞っているというのだ。
自分という人間はいつでも相手の中に没入するような寛容性とか柔軟性が日本民族の中にあるといった。

ヨーロッパ的な自我は、どこまで行っても対立的な自我で、自分を忘れてまで相手を受けいれることは決してしない。夫婦になっても日本のように一つにはならない。よく「夫婦は一心同体」などという。
ヨーロッパ人の良いところは自分を意識し、対立的な観念で暮らしているが、自尊心と責任感を失わないと恩師から聞かされていた。

だから、自分が人から後ろ指さされないように、自分をより立派なものに高めようと努力する素晴らしさがある。

一方日本人は簡単に自分を忘れてしまい、だれとでも妥協する傾向がある。
これには主体性がない右でも左でも都合の良いほうになびく間違った自我の捨て方である。
本来の日本人気質は武士道にあるように武士の面目、武士の節度、武士の権威というものを失わずに、しかも、葉隠にあるように「武士道とは死ぬことと見つけたり」で、いつでも命を投げ出す覚悟があったのが日本民族です。

日本人は相対的な左右でない発想をするのが特徴です。仏教では中道と言い、儒教では中庸と言います。
これは善悪、損得、好き嫌いを超えた解決を創造するということです。

能面を操り能を舞う人は成り切り演じるのは一回ずつ違うがそこにこそ情がある舞台になる美しさがある。
伝教大師の「一隅を照らすものは国の宝なり」という言葉が大好きで私の日本人論だ。
一隅を照らす人が集まり世界を照らす照明になることを期待したいですね。

皆さんの日本人論はいかがですか?

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