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「利について」孔子の見解

投稿日:2024年7月19日 更新日:

世界は資本主義経済と社会主義経済に大きく分かれている。
ロシアや中国は社会主義の計画経済で年率の成長率を決めて成長発展させようと国家機関がコントロールする。
一般に資本主義経済の矛盾を解決すべくマルクスが考えた理想の社会の経済ではあるが、実際にやってみると官僚の腐敗による汚職や賄賂が横行する特権階級を産むことになるのが実情だ。

10年ぐらい前に中国の習近平主席が汚職撲滅に乗り出し、武漢を中心に数十万人の逮捕者を出した記事が掲載された。
だから、悪い制度だと浅薄に評価するつもりではない。現在も国家として破綻はしていないで運営されている。
では、資本主義社会は健全に発展するかといえば、そうでもない。
個々人の利益に集約される経済機構では競争の原理が働き、拡大再生産をすることで成長、発展する。各人の思惑で二つのことが起こる。「恐慌と戦争」である。発展に伴うインフレーションが行きすぎ価格高騰して破綻する。
または、そのことで国家間の戦争にも及んでいくのである。

だからこそ「信用」の側面がなければ継続だからこが事実だ。そこには個人として私企業としての道徳観がいる。
この相矛盾した「利益獲得と道徳」の調和を図らねば継続的成長、発展はない。
「利」のコントロールが必要になってくる。

孔子は子罕第九で「子罕に利を言う。命とともにし、仁とともにす。」といったのである。
意味=孔子は子罕に利益について話されたのは、常に天の命や人の道の本である「仁」に照らし合わせて話された。
   「命」とは天命・運命 「仁」思いやり・愛
孔子は「利」は個人、国家にとって重要だが、それだけに混乱の基になる両刃の剣のような性格を持っていると話。
現実は消費する資源の価値よりも創出する製品・サービスの価値が大きくなければならない矛盾を克服しなければ成り立たない。

「利益」と「競争」は経済発展のエンジンである。そのエンジンのない公益企業や、社会主義的企業は活性化を失いかねないのも事実だ。
しかし一方で現在のように「メリット」ばかり追求する損得勘定だけでは必ず破綻をきたすことにもなる。

孔子の言うのは「利」は私利私欲を超越して、国家・社会に尽くす利益をいって、命(天命)は道徳以上に人間を尊重することで、何でもかんでも天命に任しっきりというのではなく、妙なる努力がいる。「人事を尽くして天命を待つ」という心の姿勢で発展・成長させることだ。

一万円の新紙幣には渋沢栄一が描かれたのも、「論語と算盤」で両立を目指し、国家社会に貢献する利益を生み出すというメッセージだろう。

皆さんは「利益」についてどう考えられていますか?

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