大阪石材社長ブログ

「徳を磨く」について

投稿日:2024年8月1日 更新日:

能力も徳も人間には備わっているが、繰り返し繰り返して、無意識で出来るようになるまでやる。
それは「命」を守るためでもあるし、「命」を生かすためでもある。

安岡正篤さんは「人間は生まれながらに好ましい素質という「徳」を持っている。しかし、その徳を磨くには、1.よき師を求める。2.よき友を求める。3.学問によって磨き上げる。
この3つは自分が積極的に「徳」を磨き上げる地道な行動をする努力がいる。
繰り返し、繰り返し無意識に行動するほど身につけなければ、「徳」のある品格高い行動にならない。

さて、世界ではパリ五輪が開催され、先日52キロ級の女子柔道で阿部 詩選手がケルディヨロワに負けました。
彼女は号泣して試合道場に礼を尽くして退出せず、悔しかったのでしょう。コーチの胸で場外を出ても泣いていました。
会場からはフランス人の方々も拍手でたたえました。勝負に勝ったディヨラ・ケルディヨロワをマスコミは映像を流しませんでした。

礼儀を正して試合場を退出するまで彼女は喜びの顔を見せませんでした。
後のインタビューには「彼女(阿部詩選手)はレジェンドで、完璧なチャンピオンです。私は試合がすべて終わるまで表情を変えたくなかったし、彼女をとても尊敬しているから喜びたくなかったのです。」と謙虚に試合運びの前半の詩選手の優勢もわかっていたからでしょうが、そのように語っています。

これこそ、日本柔道の品格ある「徳」ではないでしょうか?
勝者のケルディヨロワも同じぐらい血のにじむ努力はしてきたはずですが、敗者をたたえ試合が終わるまで表情を変えなかった心情こそがスポーツを超えた精神的な品格のある人間性だと思う。
安部詩選手も後日インタビューで、号泣したことは申し訳なかったと謝罪した。念のために書いておく。

どんな人も持っている「徳」ですが、繰り返し繰り返して技を磨き、技を超える人間性の「徳」を磨き上げるのが日本の「道」の文化であると、同時に身につくまでやり続ける行為こそが必要なことだ。これをだれにも負けない努力と稲盛さんは表現されている。
いいかえると「努力」が人間の技も「徳」も作り上げるエネルギーと言える。

目に見えないが!!!

皆さんは「徳」努力なしにつくと思われますか?

-生き方
-