人間には「生成化育」のエンジンが組み込まれている。
3500グラムで生まれた赤ちゃんはよく寝ておっぱいを飲んで、肉体が成長して一年もたてば這って歩くようになる。
思春期になるころまでは自然に伸びるが、スポーツを始めたり、肉体を使い筋肉を付けることを化育と言ってたくましくなる。
それと同時に社会生活する中で知能も発達し、精神力もついてくるが、精神の成長は体験と学びの多さや質によって違うが、自分の主人は自分であり、現代を生きるためには個人としての性質とともに、人類の進化の歴史を技術力とともに社会の発展史を学ぶことによって、未来を創造する力もつくのである。
人間は危機に面したり、苦しみを伴ったりすることに出会って、単に自己本能や感情の欲する満足のみをひたすら求めるのでない。
より志の高いもの高貴なものを求め具体的行動するときには大なり小なり苦しみが伴うが、ただ、楽しむ心を持つことにより、苦しみをも成長のチャンスととらえられる。
地球という星には春夏秋冬というサイクルがあるが、今年の一年と来年の一年はたぶん違う。
同じように思えるが厳密には変化しているのである。
仏教ではその変化を「諸行無常」という。すべての事物は変化しているという意味だ。そしてその変化には「因縁の法則」にしたがっていて、「縁」とは原因を取り巻く環境、成りゆきといった位置関係にある。結果の「果」に至る前の状態である。
「因果の法則」とは原因があるから結果があるということだ。
さて、より尊い志を思い「こうありたい」とひたむきに願うことこそが人格を磨くことだ。
人格を磨くことは自分の魂を良心へいざないことでもある。
そんな純粋な心持ちとは「信」「公平」「正義」「素直」という資質と言える。と教える。
さらに仏教の三法印には「諸法無我」「涅槃寂静」があり、「諸法無我」とはあらゆる存在は自己独立的に存在せず、他の存在との関係性によって成り立つといい、「涅槃寂静」とは煩悩をなくして苦しみなく物静かな境地(心持)をいうのである。
皆さんは自然も社会も自分もすべて関係性で成り立つと思いますか?
「すべては変化の過程」という教え
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