私たち人生はいつも決断を迫られる。
右か左か
中学までは義務教育で、地域の学校の決められたところに行く。しかし、お金持ちは私学へ通わせることもあるが、これを決めたのは個人の決断でなく、両親であろう。
高校受験を前に、決断しなければならないようになって、私学を受験したのは滑り止めであったが、そこへ行く経済的余裕がないのはわかっていた。
姉が通っていた公立高校へ受験することになり、どうしても通らないといけないと思ったことは事実だ。
中学の担任教師がそこ事情を考えて放課後受験勉強を個人指導してくれた。
何とか志望校に入れたのは先生のおかげだと感謝している。
その後、社会人になってもいろいろアドバイスくれ今も親しくしているが、認知症になり、今は記憶もないようで他人を見るように「お見舞いありがとう」という。
次は大学志望校への決断、社会人になれば就職の決断、このふたつも情報があまりにもなく、友人の情報の中で決めただけだ。
社会人になって、入社した会社の雰囲気がまじめに仕事する会社でなかった。
勿論儲かっていたのだろうが、仕事に向き合い方が誠実でなかった。
これでは遊び人になると退社した。
その後の人生についてはまた別の機会に書くが、生きるという意味とか具体的に何をしたいかという主体性がなかったのが事実だ。
さて決断には二つのことが必要だ。
1.限られた人生の時間を大切にする意味で、効率や効果に配慮する。
2.個人の将来のありたい方向に応じた創造的な意味のある判断をする。
3.どんな社会の集団に属し、どんな人と出会えるかを判断に入れる。
ところが上記の2.3は明確にわからないのが事実で、偶然の方が多いのが人生だと決め込み、結果必然だと思うようになっていた。
なぜなら、自分の人生に生かそうと考え現実を受け入れざるを得ないからだ。
判断には二つある。
1.右か左かという選択的判断だ
2.もう一つは右も左もという創造的な判断だ
具体的なリアルな形が最終的にいるが、大事なのは未来から見て意味あると考えられる判断、言い換えると二項対立の苦楽なら、自分にとって苦も楽も選ぶのが創造的な判断だと思う。
言い換えると事実をありのままに受け入れることだ。
事実に基づいてアウフヘーベン(飛躍)させ創造する答えを自分で主体的に行動する。
創造的生き方をするのが人類だ。
人間に与えられ、他の生き物にはないのは「創造力」だ。
自分の人生を未来に向かって創造し、行動して実現する喜びを味わうのが生きることだ。
皆さんは創造力どのように生かしていますか?

「選択から創造へ」
投稿日:2025年5月5日 更新日: