「日本のジャーナリズム」と仕事、人生の向き合い方

投稿日:2018年10月25日 更新日:

日刊スポーツに安田純平さんの解放を喜ぶニュースが書かれていた。
そこに、亡くなられた筑紫哲也さんのことばで、「終身雇用という形態で、企業の中で地位が上がっていく企業ジャーナリストは、その分バランス感覚がたけている。
一方、フリージャーナリストは会社の縛りや、制約がない分、踏み込んだ取材ができる。
日本のジャーナリズムはその両方が絡み合うことで力を発揮する」
実に素晴しい洞察力だ。

ところが、いつの間にか戦場取材は、組合が危険手当を要求。
労務担当はリスクが大きいとフリーに委託するようになった。
いくばくかの取材費はもらうが自己責任を前提にするのは当然だ。
それでも行くのは、「使命感」からだと結ばれている。

経済的な世界で活動する仕事をするわれわれも同じだ。
自分を利する気持ちと他人を利する気持ちが葛藤しどう折れ合うかが、現実の出来事、人と人のかかわりで生まれ、決断が問われる。

普通は自己の価値観に照らし、会社なら自分のリスクを小さくする行動をとる。
その自己を守る利己心のモノサシだけで良いのかが問われる。

アインシュタインは大変な日本びいきで、これからは日本が手本になるとまでいった。
「自分を中心に考えると、人間の世の中は腐る」というのである。

日本人は相手を気遣う気風「おもてなしの心」がある。
茶道や華道の所作の中に文化として伝承されているのは間違いない。

現代人のようにお金持ちや政治家、官僚、社長や先生という外見的な地位で評価するのでなく、アインシュタインが見た日本は心根や世の中に与えたもので評価する謙虚さがあり自己中ではなかった。
だから、幸せは自分の心が決めるというのである。

「足るを知る」心で、相対比較して、欲望を満たす決断でもなく行動でもない。
他人を気遣う事が一番だ。

人間は眼に見えないもので殺しあいする動物だ。
神や仏が違うから戦争し、国家という見えない社会の規律が違うと貿易戦争になり、お金という交換価値だけの自由を求め奪い合いする。

ジャーナリズムの使命感と同じように、経済的な仕事・人生においても他人(仲間)を利する使命感「志」のモノサシが自分を突き動かす。
そこにこそ自分が主体の人生を味わい自分を感動させ、他人を感動させれるのだ。

皆さんは日本のジャーナリズムと仕事人生の向き合い方のスタンスどう考えられますか?

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