ブログを書き始めて10年は超える。
書く力は考える力、伝える力、行動する力となって自分創りの力である。
話す力は身振りや手振りのアクションが助けてくれるので、
多少、起承転結になってなくてもいい。
逆にそれの方が感情移入もできて伝わりやすいかも知れない。
しかし書くのは違う。
私の書き方は読み手に参加してもらって一緒になって考えてもらいと思ってる。
同時に自分が感動したことを伝えたいと言う二重の意味がある。
伝えることに主眼を置くと知識の羅列や説教がましくなる傾向がある。
一方、私が感動したことを一緒に考えてもらおうとすれば、
具体的な事実や数字といった眼に見えるものを通じて書かないと読む気がしなくなる。
私の書くことはどちらかというと考えることをしてもらいたいことが主眼になってる。
だから、仏教用語や心理学用語それに抽象的だが社会学的用語が多い。
知識をひけらかそうとするのでなく、考える材料提供のつもりだ。
具体的になりすぎると人間と言う視点が個人の視点となりすぎる嫌いがあるので、
中途半端な抽象的な言葉が多い文章になるのが欠点だ。
私が学んだ恩師がそんな指導を私にしたからに違いない。
恩師小田切は理論物理学の学者だ。
講義は和綴じの「臨済録」の漢文を一行づつ教えてくれた。
20歳代の私には最初はちんぷんかんぷんだったが、
漢字だから何回か講義を受けてるとなんとなく意味もつかめるようになってくる。
不思議だが、慣れると言う事はこういうことかと感じた次第だ。
そのうちに「般若心経」の解説本など読むようになった。
段々深く考え、感じるようになると他人に話したくなり書きたくなる。
そうして、訳もわからず伝えてるうちに復習となり、自分の潜在意識に記憶されていく。
反復することにより具体的な出来事とつながったり、
より抽象的なことと関係を結んだりしだすから面白くなる。
考えることが楽しくなり、書きたくなり、伝えたくなったのは事実だ。
日記を書くように、ブログを書くことでさらに書く喜びを味わわせてもらった。
先日、まじめな40歳前の経営者がこられて、ブログの解説を依頼された。
書くことは考えることであり、これを行動で証明することでもある。
いい機会を与えられたので、一緒に学びたいと引き受けた。
また違った世界と人との出会いが広がるに違いない。
自分創りの三方良しは「書くこと考えること行動すること」だと改めて思う次第だ。
皆さんは自分創りどうされていますか?