インテリの意味ってなんだろう

投稿日:2016年6月30日 更新日:

馬鹿といわれて腹が立たないのが私だ。
だから、ついつい「バカやな」と口にすることがあるが、
関東では軽蔑したように取られて口をきいてくれなくなる。

関東ではインテリな人が偉いという雰囲気が漂っている。

関西の雰囲気は全く違う。
いくら頭がよくて、学歴があっても、その人を手放しで評価することはない。
あくまでも人間の行動を実績を見て、できる人かできない人かを判断される。

王陽明の「伝習録」に「知は行の初めなり。行は知のなるなり」
知を得た人はドンドンと知を行に移すことを「知行合一」と言い、
知が本物になるには行動で自ら実践することだというのだ。
私はこれができたらいいと腑に落ちる。

安岡正篤先生は「見識」に「胆識」をかけてこそ本物の人物になると表現される。
「見識」知識は単に物事を知ってるということだが、見識は善悪の判断ができることだ。
言い換えたら何がよくて何が悪いかが解ってる状態だ。
普通の社会では学者とか評論家だ。
一般には傍観者で火中の栗を拾わない企画、計画を立案するが自分では実行しない人だ。

「胆識」とは学びを生かす行動力のことを言います。
他人や世の中の役に立つレベルにもって行くには見識×行動=知行合一である。
この行動を通じて血肉化することを「胆識」と言う。
臍下三寸に力をいれ、熱意と勇気で決断し「覚悟」して腹を決めることである。

もちろん結果がすべて上手く行くとは決まっていない。
イチローでも10打席3安打だ。(最近4割打ったりもする)
必ずヒットが出ると納得しないし確約されると、
自ら行動するというのが人間の本能心であり自己を守ろうとする判断が普通だ。
言い換えると見返り100%でないと行動しませんだ。(これを私は本能心、利己心と言ってる)

学問とは程遠い私はなんでも体当たりの体験主義で生きてきた。
「やってみなければ解らない」が基本の行動判断で理屈は後で考えてきた。
言い換えたら行き当たりばったりだ。

体験主義の基本はいいのだが、人に説明できないことと、
現実が上手く行かないと、
夜も寝れないぐらいに不安や恐怖にかられ現実逃避したくなる。

そこで、いろんな研修や講演会に出かけ本も読んだ。
若いときから本を読んで学んだインテリには追っつけないので、
耳学問で手当たり次第に聞いて回った。(聞きすぎだと叱られたことがある)

学べば学ぶほど知らないことが多すぎ、迷いも多くなる自分がでてくる。
ただ救われたのは、計画はするが大雑把にであり重視するのは相変わらず、
「やってみなければ解らない」と言う行動主義、体験主義は変わらなかった。

私の目指すのは王陽明の「知行合一」だ。

現実の事実を100%受け入れ、
あきらめないで知恵絞って体当たりする以外現実の課題は解決しないという信念だ。

インテリの弱いのは臨機応変さが弱いように感じる。
それは頭で計画したことを実行しようとすることを優先するからだ。
企画立案力という素晴らしいものを持っている事は間違いない。
賢すぎて完璧を自分にかし、失敗を恐れる心を作り出すから行動までやらないように感じる。

エジソンの言葉を思い出す。
弟子が「失敗ばかりしてこれでは実験が成功しません」といったら、
エジソンは「こうすれば上手く行かないという成功を得た。」と、
失敗、成功と言う二元論(仏教では分別知)を超えた発想で答えた。

仕事や人生には「見識」は大事だが「胆識」で行動して、
具体的に役立つことの証を具体化し、
その体験を血肉化して経験にすることに意味と意義がある。

皆さんも「覚悟」された体験お持ちでしょうか?

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