「成功するために努力する」こんな定義だったら、
成功しないことには努力しないのが普通だ。
成功するしないは誰が決めるかといえば自分に違いない。
すなわち主観的だ。
私たちは神ではないので、成功するしないを判断できると言い切れるかといえば疑問だ。
この考え方は子供の「お金をくれたらお手伝いする」と同じ論理である。
結果が自分にとって都合が良いとわかったことしか行動しないと言う、
自己中心的な独りよがりの考えで、客観的事実の法則からは逆転した論理だ。
京セラの稲盛さんは誰にも負けない努力は特別なことでもなく、
成功するために努力するという目的でもなく、
動植物が必死に生きるために行動する努力でごく自然な姿だというのだ。
「必死に生きる」
私たちにとって生きるとはまず第一に肉体を新陳代謝させるために、
食べ物を食べ肉体の健康を確保する。
そのために獲物を獲ると言う活動をすること。
人間が定住するようになって農耕や家畜の生産に従事する。
これが働くことだ。
今の時代は分業が進んで直接食べ物を作る仕事をするのでなく、
社会の中で役に立つ役割をすることで結果食べ物が得られる。
結論は『努力』をするのは生きることがまず第一歩で、
社会では一生懸命働かなければならないというだけのことだ。
努力の結果、成功もあれば不成功もあるだろう。
しかし、不成功しても不成功を謙虚に認めれば復活を認めてくれ、
諦めず努力すれば再チャレンジも出来るのが仕事・人生だ。
努力は外に向かって働くことを通じてするのと、
もうひとつは自分が自分に対して「中道」を創るという努力がいる。
肉体は食べ過ぎたり、使いすぎると拒否反応(病気)を起こすが、
人間は自分の欲望実現のため暴飲暴食や無理やり身体を使う傾向がある。
是が病気だ。
私は血管がつまり心臓を壊す寸前まで行った。
その後暴飲暴食で逆流性食道炎になり、肩こりや頭痛、食欲不振を招いた。
まさに、内(身体)に向かって保守的にかばうのでなく、
小欲知足で肉体の健康バランスを取る努力がいる。
是も自然の分身の「自分」をフルに生かすコツだ。
病気にならないと解らないのが凡夫の私だ。
「健体康心」はあるものでなく、自分でつくるものだ。
みなさんは努力を内と外両方に、目配せどのようにチェックしてますか?