お釈迦さんが伝えたかったこと

投稿日:2016年2月2日 更新日:

私のような凡人は悩み苦しみ思い通り行かないことから開放され、
思い通りに楽しく過ごしたいと考える。

御釈迦さんは二つのことに気づけば悩み苦しむことはないと教えられている。
1.無常です。自分も含めてでしょうが変化するのが事実と受け止める。
天気だって、晴れたり曇ったり、雨が降ったりと変化する。
どう対応するかというと、雨が降ったら傘をさす。(これが人間の智慧だ)

2.無我です。人間の遺伝子は自己を保存するように利己的にできている。
だから、自分にとって損なことはしたくなく、得なことは受け入れる。
好き嫌いや善悪と言う価値も自分を守るためにできる。
これを『我』と言う。この価値観で観察したり判断してはうまくいかない。
素直に、素朴に事実を見、受け入れる。
自分にとって、都合がいいこと都合が悪いことを分ける前の事実は、
我ができる前だから無我なんだと教える。

この二つが理解でき、自分で行動でき、
智慧を働かして事実を自分なりに解決できると心は静かで安定する。
これを仏教では三法印と言って、
1.諸行無常
2.諸法無我
3.涅槃寂静

と教えてる。

もっと詳しく細かく教えを請うと『八正道』と細かく説明されているのである。
言い換えると悟るというのは無常と無我を自分でできることだ。

ところが遺伝子は利己心だから、よほど自分の心を注意しておかないと、
心が利己心に支配され、無常は常に固定化し、無我が我となってこだわってしまうのである。

論語ではそんな心を子罕第九で、

『子、四つを絶つ。意母く(なく)、必母く、固母く、我母し』

孔子は自分をダメにする心の持ち方を諭している。
1.意母く=私意、自分勝手なおもい、考え。
2.必母く=決めたことにこだわる事、つまり無理押しする。
3.固母く=頑固、つまり執着すること
4.我母く=私己、つまり利己心だ。

この四つすべて満たす人物を書くと、

『勝手な考えで意見をごり押しし、人の意見に耳かさず、エゴイスティックに物事を進めていく人』

どんな人も人間が追い詰められたり、困難にぶつかった時には、
自分を守るために、本能が働き利己的な自分となる。

道元は『修証一等』だと二元論を否定する。

心が開放され、好き勝手でおもいどおりの別世界が現実にあるのでなく、
修行する日々の中に事実を素直に受け入れる中に正覚があると考えられる。

釈迦も、孔子も、道元も現実の今をどんな事態でも受け入れ、
無我なる素直さで智慧を沸かして生ききることを良しとされているのである。

西洋の理性主義でなく、
東洋的なものの見方がこれからの世界平和には欠かすことができないと感じる。

『奪い合うから足らぬ、分ち合えば足りる』

皆さんは無常と無我の心になることできますか?

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