孔子は一生かかっって説いたのは何か?
それを曽子が答えている。
里仁第四「曽子曰く、夫子の道は忠恕なり」
意味=曽子は言います。先生の道は忠(まこと)と恕(思いやり)と思う。
孔子は「仁」とも表現してるが、これは一体どのようにしたらできるのかというのも、
曽子が答えているのである。
顔淵第十二「曽子曰く、君子は文を持って友を会し、友を以って仁を輔く(たす)。」
意味=曽子は言います。君子(志を持って立派に生きたい人)は詩書礼楽などの文事によって友と相合い、其の友達同士の切磋琢磨によって仁の道を実行して人間力、すなわち徳、「仁」ができるというのだ。
要するに良き友と切磋琢磨する事で、仁が養われるというのだ。
将に「恕」を身につけるのは天から授かった、この心と身体をコントロールする「修己」のことである。
季路が、孔子に「死」について問うのである。
先進第十一「曰く、未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん。」
意味=孔子先生は、まだ自分はこの世にうまれ生きることも分からないのに、
どうして死がなんであるかわかろうか。
孔子が現実主義者であり、また道義を重んじ礼節以って人と交わる自己研鑽の人であり、
ただただ理想論を語ってるだけでなく実践主義者であった。
江戸時代には武士はこの心得を幼少から四書五経を通じて学んだ。
だからと言って、すべての武士が立派であったとはいえない。
幕末には江戸は100万の人口(当時フランスのパリは20万)で、
武士の次男三男が浪人となり、寺子屋で習字や論語の素読を教えていた。
町人にも礼儀正しく仁義を守るような風土が自然とできていたのである。
歴史はわれわれに何を伝承しようとしているのか、改めて古典から学ぶ次第だ。
皆さん、良き友と会い話することで、知らず知らずに「仁」創ってますね。