夜話6に『それ人身あれば欲あるはすなわち天理なり。
田畑に草の生ずるに同じ。
堤は壊れ、、堀は埋まり、橋は朽ちる、これすなわち天理なり。
しかれば人道は私欲を制するを道とし、田畑の草をさるを道とし、
堤は築来て、立堀はさらひ、橋は架け替えるを持って、道とす。』
人間は生まれたら私欲があるの当たり前、田畑に草が生えるのと同じだというのである。
ほっといたら、堤も堀も端も壊れ埋まり朽ちる。
だから人間のやることは堤を築き、堀をさらい、橋を架け替える。
尊徳さらに『天理と人道とは、格別なものなるが故に、天理は万古変ぜず、
人道は一日怠ればすなわち廃す。されば人道はつとむるを以って尊しとし、
自然に任ずるを尊ばず。』
『人道の勤むべきは、己の克の教えなり。私欲は田畑にたとふれば草なり。
克とは、是田畑に生ずる草を取り捨つるを云ふ。
己に克は、我心の米麦を、繁茂さする勤めなり。これを人道と云ふ。』
天理は万古不変であるが人道は努力して毎日勤めないとダメだというのである。
毎日することは、己に克つことだとも言ってるのである。
米麦が取りたかったら、田畑に生ずる草をとる。
言い換えると自分が幸福になりたければ、田畑の草すなわち私欲を毎日掃除して抜くことだと教える。
人間は『愚かで、怠け者で欲張りである』こつこつ学び、
毎日勤勉に努力をして我欲の草を自らから抜くことだ。
言うは易いが行動は難しい。
しかし、毎日少しづつやれば誰でもできる。
一気に一日で草を抜こうとするからできない。
手を抜かないでこつこつやるしかないと覚悟することだ。
論語に『克己復礼』己に克ちて礼に変えるとあるのがこの怠らない努力で礼節を重んじる心だ。
草に米や麦が食われないように育てる喜びを味わいながら!!
皆さんは尊徳さんの教え子供に伝えてますか?