不完全の自覚

投稿日:2015年7月4日 更新日:

昨日梅田の富国生命ビルの会議室で会社説明会を行った。
東大阪の本社までは、なかなか説明会に行くのが大変だと考えた新企画だ。
実際の事務所や加工彫刻、展示場がないのでその仕事の素顔を伝える必要があった。
企画課の根倉君が大阪石材の素顔がわかる4分程度のプロモーションビデオを作ってくれた。
実にみんな自然で笑顔で楽しく仕事している様子が伝わってきた。

その中で「不完全で良い」というフレーズの言葉が書かれていた。
私の会社の説明が終わり、
質疑応答のときに、
ある女性の学生さんが「不完全で良い」ってどういうことですか?

こんな哲学的な質問をするとは考えていなかった。
咄嗟に、
「理性」ですべてが正しいと考えてるが、実は自然のごく一部しか知らない。
理性そのものが不完全なのが人間なんだ。
だから、「不完全な人間」を自覚することが大事だ。
と答えたが、理解したかはわからない。

もう少し詳しく言うと、
「理性」にも「感性」にもよさと悪さがある。
「理性」の判断基準は「正しいか間違いか」「損か得か」「善か悪か」
「感性」の判断基準は「好きか嫌いか」「楽しいか楽しくないか」「快適か不快か」
理性は頭脳的基準の判断だが、物事の違いを明確にするが行き過ぎると自己中心の思い込みになり、
自然のほうに真理があるのに、自分の頭脳を中心に考え論理の整合性を優先し間違いを犯すのである。
(実は合理性だけでないと肉体的な感覚でなんとなく感じてても合理性が正しいと判断する傾向がある)

感性は肉体から来る現実的な感覚を判断基準とするが、
行き過ぎる自己中心的になり感覚の違う人を受け入れられなくなる。
(実は誰とでも、どんなことでも受け入れると考えていながら、好き嫌いを優先する判断する傾向がある)

このように、人間はどんな人も不完全で、ものの見方、考え方、感じ方も誰一人完全な人はいない。
人間にそれぞれ違った肉体がある限り、また育った環境が違う限り誰もが偏見だし不完全である。

だからと言って、これが悪いということではありません。
自分の一人の見方は偏見であり、不完全である自覚する事が大事だ。

正解を求めて、肩に力をいれ自己否定して苦しく生きることはなく、
本能心のままで自分の意志がなく破滅的な行動もせず、
謙虚に肩の力を抜いて努力することだ。
努力が第二の天性である。

人間の理性や感性は完全を求めるが、
ひとりでは完全になれないように創造主が造ってる。
だから社会を創って衆智を集め協力し助け合って生きる必然が生まれる。
一人では生きれないのに個人主義を標榜する矛盾がある。

家族ができ、仲間ができ、社会人、国民になり世界市民、宇宙人と進化、発展のプロセスを歩んでるのだ。
不完全だからこそ生きがいも持てるし、矛盾の中に新しい創造も生まれるのである。

不完全の素晴らしさを本質的に伝えたかったが、
たぶんこの文章は若き彼女たちには理解されないだろう。
多くの体験を踏んだ大人たちはどう思うか楽しみだ。
しかし、着眼して生きてることだけは確かで頼もしく思った。

皆さんは不完全を楽しんでいますか?

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