社会人になって、7ヶ月で会社を辞めた。
そして、再就職しようとしたら中古車扱い。
どこに面接に行っても、3年ぐらい耐えることのできない浅薄な人間と決め付けられた。
それが当時の社会の常識だった。
世間知らずの驕った心であることは間違いない。
目標なり、志のない人間は挫折すると自分の内面ばかり見て迷い、悩むのである。
新聞を見て何社も飛び込んだが、剣もほろろの対応で全く自信をなくし、
消極的な自分に落ち込むばかりだ。
追い討ちをかけるように、先行きの不安で苦しくなる一方だった。
そこで、大学のゼミの先生が学長だったので、勇気を振り絞って相談に行った。
「男になりたい」といったように記憶する。
数ヶ月たって、紹介を受けた会社は売り上げ70億、700人の規模で、
先生からの申し出もあって、直接に社長面接を受け入社した。
「当たって砕けろ」精神が成功した。
もちろん有頂天になったが、自分で判断するのはやめて先ずは会社になじむことを決意した。
自分に合うか会わないかは二番にして、一生、この社長についていこうと勝手に決め、
この仕事が天職だと自分に言い聞かせた。
会社も十年ぐらいで発展途上の勢いがあり、新規事業に挑戦していたので、
初めての仕事ばかりが与えられ、マニュアルなんかはなく、
すべて自主的に自分で考えなければならない体制だった。
そこで、仕方なく「当たって砕けろ」精神で誰かれなく聞きまわって、
目の前の仕事を少しづつできるようにしていった。
仏教では人間の住む世界を「娑婆」といって、インドの言葉でサハー(堪え忍ぶ)という意味だ。
涅槃経に「身心の苦悩、一切能く忍ぶ、この故に堪忍地と為す」とある。
娑婆は忍耐するところであるという意味だ。
迷いや悩みの中に飛び込み「当たって砕けろ」精神で、苦に飛び込めば苦が逃げると
いう意味だ。
当時はこんなに難しく考えていたわけではないが、
成功しようとか失敗しようとか考える余地もなく、
どんなに辛くても時間がかかってもやりきるしかないと思い込んでいた。
そんな行動をとろうと思ったのは、
最初に勤めた会社を辞めて味わった敗北感を味わいたくなかったからだ。
御釈迦さんはこの娑婆は「苦」の世界であり四苦八苦がつきまとう。
一年のなかに春夏秋冬という変化があるように、この変化が不変で、
自分と思ってる自我なんかなく、縁によって変化する無我だというのである。
明日どうなるか誰にもわからないことを自覚すればいいというのである。
当時こんなことの意味が解っていたわけではない。
凡夫の私は「ならぬ堪忍、するが堪忍」と苦から逃げたい、
楽をしたいというのが本音で、いいわけばかり考えていたのが事実だ。
逃げるに逃げれない自分と向き合い「当たって砕けろ」精神と開き直っただけだ。
私はごく普通の人間で考えて考えつくして物事の判断はしていなかった。
また一方、自分の利益で人を騙して悪智慧を働かす勇気もなく、逆に自分の良心が痛む
小市民だ。
世の中の明日はわからないし、変化のさなか確実なものはなく正解もないのが現実だ。
ただ「当たって砕けろ」精神で今に一生懸命生きることしかできない。
ほんとの馬鹿に違いない。
皆さんはいつも考えて行動されますか、当たって砕けるですか?