高校生の時クラスでトップだった同級生は、朝日新聞の天声人語を辞書で調べて読んでいた。
国語の勉強が基本だといっていた。
同感だとおもったが、行動しなかったのが私だ。
いろんな講演を聞いても実行する人は0.2%に過ぎないという人もいる。
講師もいろんな人がいて、
「私はよいポイント言ってるが、皆さん実行しないから講師の仕事で生計が立つ」とあからさまに、
または、行動することを奮起させるように、下衆っぽい言い方をされる人もいる。
さて、今日の天声人語は「人間というものは、とかく感情や短期的な利害にとらわれがちである。
そのために、中長期的に見たときに合理的とは言い難い、
自分の利益に反する判断を下すことがままある」
昨日のニュースで話題になった安保関連法案で与党の憲法学者の違憲に同意する発言したことにからむ。
結びに、「人間の判断はあまり当てにならない。謙虚さに徹して議論を立て直さないと国の行方を誤る。」
このように天の声が人の言葉を借りて言ってるのである。
人には言葉があるから、どうしても善悪、損得、好き嫌いの二元論的な判断をしなければならないと考えてる。
しかし、天には言葉がない。
だから人間の身体に普段と違う症状で表して警告する。
これは、すぐ死ぬという末期なら仕方ないが、休養することと、治療することと、、
普通は日常の生活習慣を立て直せば解決する。
では、心はどうかというと天は「突然」不意に考えてもいない事態を目の前に突きつけるのである。
全く日常と違う異質な出来事を見せ付ける。たとえば地震など。
誰でも困ったとなるのがごく当然だが、
これを「素直」に受け入れ智慧だし行動する中に心が強くなるのである。
天には言葉がありません。
身と心にとらわれないことといったのは道元禅師である。
「身心脱落」と如浄禅師の言葉を聞いて大悟したといわれる。
良寛は「相逢うて 相離れ 去来白雲の如く
ただ霜を留めるも跡はなし 人間たずぬべからず」
人間は人間如何に生くべきか考えるのが当然だが、
良寛は人間を追及しても何もないと教える。
天に言葉がないから聞こえない。
仏教の経典をいくら読んで知っていても人間の言葉である。
「経外別伝 不立文字」こそ天の声だ。
今頃、同級生はどんな人物になってるか思いをはせる今日この頃だ。
皆さんには聞こえますか天の声?