禅の言葉ですが、海中には竜門と呼ぶところがあって、
いつも荒波が立ってるが、どんな魚でもひとたびこの門をくぐると、
竜になるという教えが、正法眼蔵隋聞記(六の九)にある。
禅宗では入門して禅の修業をするのだ。
入門はするが禅の修業に没頭しないで、
師匠を批判したり、自分の才能を疑い他にあるのでないかと道から外れる。
私は坊さんになりたいと思ったことはないが、
社会に出て会社に入り、働いて生活の糧を得て、
結婚して家を持ち、車も持ちたいと夢を描いたものだ。
ところが、学校を出て会社に入って6ヶ月で退職してしまった。
会社が悪い、上司が親切でない、私には他にもっと違う能力があると自己正当化する。
こう考える自己中心的な未熟な自分だけがいた。
道元禅師は「志のいたらざる事は無常を思はざる故なり」
自分の「思い」が強くなかったのと、
世の中や人間の自分は縁によって変化するのが当たり前なのに、
周りが変化してくれると逆に考えていていたのだ。
仏教の三法印の「諸行無常」を知らなかったのである。
幸せの青い鳥が外にあると思い、努力することをやめ、
現実をさらによくする知恵を出して幸福を自らの手で創ることを諦めてしまったのだ。
いい換えると不平不満を言って自分の思い道理にならないことから逃げ出し、
仕事を放り出してしまっただけのことだ。
これでは「竜」には成れません。
単なる小魚だ。
先日、23歳の青年が知人の紹介でやってきて、自分は何に向いてるかもわからない。
営業して人間と直接触れる仕事がしたいと言って尋ねて来た
「社会の中の会社がどこに、どんな会社があるか全くわからない。」
だから、どんな会社が自分の希望に合ってるか教えてほしいと言うのだ。
いろいろ窓口を紹介はしたが、良い「竜門」が見つかると良いと願うばかりだ。
「竜門」を見つけても、一心不乱に仕事に打ち込み、
社会に役立つ一人前の人間になるには、十年はかかるだろう。
この十年の中では気に入らない上司もでてくるし、
他人が起こしたトラブルにも巻き込まれる事だろう。
そこで「ピンチはチャンス」と事実を100%受け入れ諦めないで立ち向かう勇気を
失わないでほしい。
人生は出会いで決まる。
どんなに失敗しても人にだまされても他人に責任転嫁せず、
自分の責任と捕らえ諦めないで自分を磨いてくれれば最高だ。
何かあれば「連絡してくれよ」と別れたが、
彼は縁を生かすことが出来る人かはわからない。
見守るしかない。
みなさんも「竜門」に出会い諦めず歩まれましたか?